コパチ村の幼稚園 - チェルノブイリツアー

コパチ村の幼稚園の庭に落ちているビニール製の人形

 

 

先に近況報告。
9 月にコーカサスへ行った。

 

もうね、いろいろあったよ。
ジョージア出国してアブハジア入国する際、ジョージア側で 5 時間待たされたり、
ナゴルノ・カラバフのアグダムで無事モスクのミナレットには登れたものの、警察 (軍人?) にっとっつかまって、アグダムの写真消されかけたりした。

アブハジア スクミの旧国会議事堂の廃墟もすごいな。頑張って屋上まで登ったわ。

 

そういうきな臭い場所ばかりではなく、

スクミは廃墟以外にも普通にローカルなリゾートタウンといった装いで、特に海岸沿いの開けた感じが楽したった。

 

ウシュグリは山が超絶景だったなぁ
メスティアから日帰りで行ったけど、今度はウシュグリ泊でまた行ってみたい。

ジョージアは全体的にまだまだ見どころ沢山あるし、見たりないな。

スマホで撮影したクオリティでよければ、それらの写真は Facebook とインスタにアップしたので、見てみてください。
ナゴルノ・カラバフのアグダムやシューシ、アブハジアのスクミ旧国会議事堂等の写真も載せてますよ。

 

で、

本編。

 

 

コパチ村へ

チェルノブイリタウンを離れて北上。
ミニバスの車内でガイドが急にカウントダウンを初めて、それが 0 になった時、前方の車窓に大きな建造物が見えた。
 

銀色の大きなやつ。

あれがチェルノブイリ原子力発電所 (The Chernobyl Nuclear Power Plant) の四号炉を覆う予定の新シェルターだ。 

したがって、あの真下がまさに事故のあった四号炉だ。

やっと来たね。

キエフから結構距離あったと感じる。

 

ツアーではこのまま四号炉へ向かうのではなく、もう一か所立ち寄る所がある。

それが今回のコパチ村 Kopachi village (Копачі) 

事故前までは約 1100 人の村人が居住していたらしい。

 

前に貼ったチェルノブイリの地図の中には コパチ村の地図の pdf もある。
これら地図からは、前回の Zalissya 村と同様、村の全体を俯瞰出来る。
 
Chernobyl Maps
http://www.chernobylmaps.com/

 

これと、
Kopachi
http://www.chernobylmaps.com/wp-content/uploads/2014/01/KOPACHI_CMCC.pdf

 

これ、
Kopachi
http://www.chernobylmaps.com/wp-content/uploads/2014/01/KOPACHI_CM.pdf


ツアーで立ち寄った時、結構幹線道路からすぐに幼稚園があって、その後ろが森が深くなって立ち入りが難しそうだったけれど、ウチラが歩いたのって、村のほんの一部だなって実感。

 

そもそも幼稚園がこの規模の村なのに二か所あったみたいだし。
村の敷地って結構広い。

それに大部分が森やらその他自然に還ってしまったみたい。

高レベルな汚染でほとんどが人為的に埋められてしまったとの事。

この幼稚園はその中の「例外」だね。

 

幼稚園

ブリキ?のトラックが入り口に置いてある。

 

立ち寄った幼稚園は、前述のとおり幹線道路から近くてアクセスが良い事や建物自体の保存状態等が理由なのか、チェルノブイリ観光の定番スポットだ。


チェルノブイリのツアーに参加すると大抵はここに立ち寄るはず。
事故で廃墟になった幼稚園という事で、いろいろ見て事故当時を想像すると悲しい気分にもなるのだけど、同時に観光客向けの演出されたらしき部分もあって、ちょっと複雑な気分。

 

ガイドの持ってるガイガーカウンター

ガイドの言った事を記憶をたどりにトレースすると、ガイガーカウンターにもいろいろ種類があるらしく、これはガンマ線 (γ線) のみ測定するタイプと言ってた。

ベータ線 (β線) を測定するタイプに比べて感度が低いって。

 

コンクリートの上から砂の上にガイガーカウンターを移動した瞬間、一気に数値が上がる。

ちょっと行ってから大分日が経ってしまっていて、見方がうろ覚えなんだけど、記憶が確かなら、一時間あたり 13.7 uSv (マイクロシーベルト) っていう計測結果と思われる。(識者の方、間違ってます?)

 

幼稚園の敷地入り口から建物に向かう途中に落ちてるビニール製の人形。

両手と片足が無いわけだけど、観光客向けの演出くさい。

 

80 年代の事故で 30 年経ってる。

30 年間ここにこういう姿でここに置かれているとは考えにくい。

観光客向けに、誰かが意図的に腕をちぎってここに置いたんじゃないかと思ってしまう。

 

幼稚園の入り口。

立派な建物だな。

Zalissya村 の役場の建物並みに大きくてしっかりしてる。

 

他のツアー参加者とともに潜入。

 

掲示板のマトリョーシカにいろいろ想像を掻き立てられる。

当時は掲示板を彩る飾りとして、先生なりが貼ったものだと思う。

なんていうか、、、子供向けの優しい気配りみたいなのが、事故で台無しになってる。

説明が難しいのだけど、そういう非情な感じ。

 

放射能汚染って、大人より子供が被害を受けやすいはず。

甲状腺ガンとかさ。

ここに通っていた園児たちは、健康な大人になれたのかな?

 

掲示板に書いてある文字:РОДИТЕЛЬСКИИ ЧГОЛОК を Google 翻訳で訳してみると PARENTAL PARENTS "親の親" になったけど、正しいですか?

よくわからないけど、各張り紙は父兄向けの連絡事項が書かれているって事かな。

子供を迎えに来た親御さんがここで足を止めて連絡事項を読んだ時代もあったんだろなぁ

 

玄関付近には下駄箱かロッカーかわからないけれど、そんな感じのものがある。

でさ、思うわけだ。

座っているビニール製の人形とか立てかけられてる大きな本が、事故当時の様子を留めているのじゃなくて、観光客向けに "展示" されているんじゃないかってね。

さっきも書いたけれど、30 年このままって不自然だ。

 

ノートが落ちてる。日記かな?

ガイドからはこういうの汚染されているから絶対に持って帰るなって。

 

ちなみに、このチェルノブイリには幼稚園の先生が書いた「予期せぬ事態により、土曜日の遠足は中止になりました」っていう非常に悲しい事でちょっと有名な日記が残っているのだけど、その幼稚園についてエレナのサイトを確認してたら、どうやらその日記が残っていたのはこのコパチ村の幼稚園ではなく、プリピャチの町の中の幼稚園らしい。

 

> a teacher's diary, and a last note saying that their walk on Saturday has been canceled due to some unforeseen contingency.

 

ここでまたエレナのサイトを確認。。。と思ってちょっと前に URL 叩いてみたらメンテナンス中になってた。
このまま消えてなくなってしまわないか心配したけど、復活してくれて嬉しいわ。


   

 

小さなベッドが並んでる。

自分幼稚園行ってた時、幼稚園では寝る習慣ってなかったね。

人形、ここでも座っているのは演出だろうな。

 

昼寝タイムとかあるのって日本じゃ保育園のイメージ。

 

ま、ここは他国だから、なおさら幼稚園で寝る時間があっても全然不思議じゃないけどさ。

部屋は沢山あるけど、あっちこっちの部屋にベッドがあるよ。

 

ここはたぶんトイレ。

トイレ部屋になぜかロッカーが移動してる。

もしかして観光客にトイレを使わせないようにしてる?

とか、もはやいろいろ勘ぐってしまう。

 

なんか真新しい落書きが。

 

ЧОЧО! ПЫЩЫ

 

翻訳サイトにかけてみたけど、よくわからん。"チーズの目的"?"安い購入"?

だれか〜〜〜

 

朽ち果てたライオンのぬいぐるみ。

これはちょっと、、、個人的にはたとえ演出が入っているとしても、ビニールの人形たちより悲しい気分になるわ。

なんでだろ、座らされていないから?

人形って、当時これで遊んでた子供たちが確実にいて、あの時、確実にどっかへ避難していったわけでしょう。

 

オサナゴがさぁ

やり切れないね

 

これは本棚だな。

本が散乱しているし、幼稚園内の図書室か、職員室かな。

 

ああ、この部屋のベッドは二段ベッドだから、さっきの部屋より収容数が多そう。

 

こういうの見てると、不謹慎だけどホラーゲームを思い出すよ。

バイオハザードみたいなパニックものじゃなくて、プレイステーションで出てたサイレントヒル の初代みたいなどんより系のやつ。

前半に主人公が小学校を訪れるんだけど、そんな感じ。

もちろんここではクリーチャーやイベント一切ない無いけどね

 

ここにも人形が

目が赤い。「すごーい。キミは目が赤いフレンズなんだね〜」

 

首切られた人形。

不気味ではあるけれど、"演出" と "展示" が興覚めするレベル。

 

おおお!

これは昭和時代にあったママレンジにそっくりだ。

共産圏版ママレンジか?

これはちょっと興味深い "展示" だ。

 

楽譜が散乱。

 

Песенка ПетуШки

翻訳サイトにかけてみると、"Song of Petushki" (ペトルーシカの曲) となった。

多分この歌の楽譜じゃないかな?

幼稚園児が歌うにしては難しいな。

 

ペトルーシカの説明はたぶんコレだ。子供向けの人形劇ってことかね。

在りし日はこれを先生がオルガンで弾いて子供が歌ってた。

そんなある日、例の事故でみんな急いで避難。

悲しいでしょ

 

どこもかしも、幼稚園と事故のコントラストが強すぎ。

 

こんな過去の遺物を見て悲しくなるのはポンペイの人型石膏以来じゃないかな。

ブドウ畑の前にある、苦しむ家族を無念そうに見守りながら自分も死んでいったってやつ。

自分のブログではこれ

 

そろそろオイトマ。

この幼稚園は前回の村役場より足場がしっかりしていて歩いてて安心出来るわ。

でも、、、いつまでもつかな。(行きたい人は早めに行ったほうがいいよ、ほんと)

 

表の表札にあたるもの。

ごめん、ロシア語をインストールしていない状況下で翻訳するの大変過ぎ。

後日やります。

 

ブリキのトラックの所に帰ってきた。

 

ああ、こんな所にもママレンジが!

ここで遊んだ子、さてはアウトドア派だな?

 

タイヤの跳び箱?

これはうちの小学校にもあったな。

万国共通かね

ちなみにガイドが「あっちの方は汚染がやばいんで行くな」って釘さしてた。

 

幹線道路沿いにあるスタチュー

Wikipedia では、"World War II Memorial" となっている。

人型見る限り、第二次世界大戦慰霊碑っぽくはないな。

 

コパチ村総括

総括するほど大げさなもんじゃないけれど、コパチ村は日帰りツアー客も訪れる観光スポットで、観光客向けの演出がちょっと酷いと思った。

チェルノブイリ日帰りツアーでこういうスポットをダイジェストで見せられたら、「期待外れだった」っていう感想持っても不思議ではないな。

でもさ、そういう演出を差し引いても、子供達が居た場所が事故で無残にも朽ち果ててる様子を見ると、とても悲しい気分にはなった。

そうやって思えるだけ、この村に立ち寄れて良かった。

 

 

サムネイル対策用

 

 

次回はたぶん四号炉前までかな

 

 

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チェルノブイリタウンとチェルノブイリポート

チェルノブイタウン (Chernobyl Town)  Чорнобиль 入り口

 


いやはや更新が滞っていて申し訳ない。
5 月後半から忙しかった、
PC 壊れた、スマホを買い替えた等が主な原因だな

 

仕事は先行きよくわからん所があるけれど、取り合えず落ち着いたし、PC は BTO で買いなおしたし、データのサルベージも終わった。

前は Adobe Creative Suite 3 を使っていたんだけど、そのメディアがどっかいったので、Photoshop Elements 15 も買ってきた。
最新の CPU にしたら超高くついたわ。そんなこだわらず出来合いのやつにすればよかった。
スマホは 4 年位前にネパール行ったタイミングで買った骨董アンドロイドだったものを sim フリーの iPhoneSE にした。
また、忙しい忙しいと言いつつも、ポケモン GO にはハマってしまい、それに割いてる時間もかなりのもんだった。

 

旅行の予定としては、9 月にコーカサスへ行く。

旅程を書いてみたので、見てみてください。

 

コーカサス地方 超圧縮弾丸旅


コーカサスと言っても、いろいろな独立国やロシア領内に共和国があるわけだけど、今回はアゼルバイジャン、ジョージア、アルメニアの三ヵ国に、未承認国家のアブハジアとナゴルノ・カラバフにも行く。
夏休みとしては大分長めだけど、計5カ国日数的には足りないので、言わずもがな超圧縮弾丸旅です。
端的に言えば、普通このアゼルバイジャン、ジョージア、アルメニアの三ヵ国を回る時、は大抵陸路で国境を越えるけれど、自分の旅程では、首都と首都をすべて空路で移動する。


"圧縮" というテーマを最も端的に表しているのは、9/18 で、一日の間にジョージアの山の中:メスティアから首都のトビリシへ空路 (Vanilla sky) で戻り、アルメニアのエレバンへもう一回空路、そして、アルメニア南部のゴリスまで陸路移動するというね。
フライトスケジュール的に可能なはずだけど、机上の空論になってしまっていないか心配。

 

あと、こだわりは未承認国家の二カ国訪問かね
この係争地の二カ国、他の観光スポットや都市より優先して行くわけだけど、チェルノブイリ訪問が印象深かったり、板門店も印象ぶかかったり、あと、あっちこっちスラムになんとかして行きたがる自分の傾向、趣向からすれば自然な流れだな。
特にナゴルノ・カラバフのアグダム訪問に成功すれば良いなと思う。

ちょっと青臭くて恥ずかしいのだけど、現状はそういうのにひかれるのは確かなので、仕方ないね。

 

 2017/09/07 追記:9/6 に確認した結果、メスティアから首都のトビリシへ空路がリコンファームしたら午後便になっていたため、再調整。アブハジア滞在を一日削ってメスティア滞在を一日ずつ前倒し、その後、Vanilla sky のフライトを 9/17 に無理矢理変更してもらった。

また、アブハジアのエントリー・パーミットが届かない件で、メール、メッセンジャー、ロシア語話せないのに国際電話等取れる手段をすべて駆使してやっとエントリー・パーミット入手成功。

催促した後、エントリー・パーミットのメールの後に受領メールが届いた所から、おそらく申請は見逃されていて、催促の後にものの 30 分位の間に対応したに違いないわ。

怖いわ。


 

ではブログの続きを書いてみる。

半分、リハビリだな。Photoshop の UI もかなり変わってしまったので、慣れるのが大変だ。

 

記事内容も自分でも忘れかけていたた。

前回の自分の記事を読み直すと、チェックポイントから Zalissya 村を散策した所までだった。
そうすると、次に行くのはチェルノブイリタウンだ。

チェルノブイリの町の入り口には大きなサインがある。

それがこのブログの一番上の写真だ。

 

チェルノブイリタウン

 

上の写真の反対側。

入り口で振り向けば、野良犬なのか飼い犬なのかわからん犬が沢山。

たぶん飼われてると思われ。

 

タウンの中に入ってきた。

これは制限区域の形をした、なんていうか簡素なジオラマのようなものか。

 

この、チェルノブイリタウンは事故のあった 四号炉からは 30km 離れた所。

ガイドの話によれば、この "チェルノブイリ" の名前をいただいた町は、チェルノブイリ原発事故の後から造られた町だ。
もちろん、事故前の拠点はかの有名なプリピャチ (四号炉から 10km) で、そこが汚染で使えなくなったから、30km 離れた所に拠点を造り直す必要があったらしい。

 

このチェルノブイリタウンは、本当に原発関係者の居住スペースになっていて生活に必要なものはある程度揃っている感じ。
雑貨屋やカフェテリア、食堂、飲み屋等、ささやかながらある。
我々二日間ツアー参加者はここのホテルに滞在することになる。

 

その他特徴としては、建物が全体的にしょぼいこと。
頑丈に造られていないような。

後述の理由で地面をあまり掘れないせいとか、あるかも。
それでも、広々した敷地のすべてによく手入れが行き届いていて、まるで大学都市みたいだ。

 

ニカヨモギの天使

 

これは "Wormwood Angel memorial" っていうモニュメント。

チェルノブイリの町にはモニュメントが多い。

 

Wormwood はニカヨモギの事らしい。

チェルノブイリもニカヨモギの事だから、チェルノブイリの天使って事か。

 

自分は無宗教だけど、これについて調べると聖書からの引用って事がわかる。

中二病御用達 新約聖書・ヨハネの黙示録(8章、10-11)にそれはあって、まぁ三番目の天使がラッパ吹いて起こった大災害が、チェルノブイリ原発事故そのものみたいな。

つまり、聖書で予言されていた事故だと。

 

> 「第三の御使がラッパを吹き鳴らすと、苦よもぎというたいまつのように燃えている大きな星が落ちて、水の3分の1が苦くなり、そのため多くの人が死ぬという預言

 

このことはエレナのサイトでも見かけた気がするのだけど、今読んでみたらすぐ出てこなかった。

 

 

2017/09/07 追記。

エレナのサイト内で、該当箇所を見つけた。

これです。

 

> Another interesting detail, the alternate meaning of "wormwood" for the word "Chernobyl" has now mysteriously disappeared from our dictionaries. Such is the policy of our government. In order to suppress apocalyptic moods and to build more reactors, they have removed this word from dictionaries. I doubt, they will succeed in erasing this episode from our memory, word is still in everyday use and we all know that not all governments of the world, not even their rich patrons from almighty atomic industry, can remove verses from Bible.

 

もうちょっと、明確に書かれていた気がしたんだけど、そうではないらしいな。

 

事故で廃村になった村の数々。

 

看板は続くよ、どこまでも。

 

宿泊施設

 

御覧ください。

こちらがこの町にあるカフェテリア兼レストラン兼、ホテル

僕らツアー客はここに泊まる。

あのドアのあたりでは原発従業員達がたばこ吸ってた。

 

飼い犬。

汚染された所で生まれ育つ事が不憫でならない。

 

こんなん触って大丈夫か心配してしまうが、他のツアー客は普通にじゃれあってた。

 

中入ります。КаФе десятка

えっと、Cafe Desyatka か。直訳すると、"カフェ 10" だね?

何が十 (じゅう) なの?

 

お昼ご飯、現地ツアー代に高い金払ってるだけあって、かなり豪華。

4 人掛けテーブルで、僕はフランス人の夫婦と一緒のテーブルでした。

 

お肉うまいよ、スープも。

ロシア、ウクライナあたりの料理って自分好みだな。

 

表出た所。

ここらでは水道管の類は地下に埋設されておらず、全部地上にむき出し。

 


地面の中は汚染土で一杯なので、掘り返すのが超危険。

それでケア出来なくなるから、こうやって地上に剥き出しの方が良いらしい。


ただ、水道管だかなんだか知らぬが、例えば極東ロシアのハバロフスクに行ってみても、地下は凍結するためか時々パイプラインが外に剥き出しになっていたりするので、この点はあまりスペシャルな気はしないかな。

ってか旧共産圏って割とパイプラインが外出てるよな。

 


ここにもあったか。白光真宏会のポール。
日本の街中でたまに見かけるこれ。


日本語でも書いてあったので、ドイツ人に「なんて書いてあるの?」って聞かれたので、"Pray for peace and for all humankind." みたいな怪しい英語にしてみたら、なんと、ポールの別の面にしっかり英語でも書いてあった。
"May Peace Prevail On Earth" だって。へー 意訳って難しいわ。
それに "Prevail" なんて単語、使いこなせていない。

 

チェルノブイリポート

 

町から北上した先の川沿いにやってきた。

 

ここは有名なチェルノブイリポート。港だね。

 

エレナのサイトにも事故から数年後の古い写真を引用していたので、この風景には見覚えがあった。

 

沢山船が廃棄されているんだけど、昔よりも数が減ってる気がするのだ。

 

さながら船の墓場。(バングラやインドみたいに解体してるわけじゃないけどね)

 

対岸では従業員が釣りしてる。

 

ボロい橋があるんだけど、僕らが対岸に行く事は叶わないみたい。

 

これが橋。ボロいなぁ

 

まさかさ、釣った魚食べてないよなぁ

 

ちょっと離れた所。

ガイドがそろそろいくよ〜とか言ってるけど、無視。

 

いい風景だな。イギリスみたい。

はじめこの写真をトップにしたんだけど、後から町の入り口の写真に変えちゃった。

もう夕方ってのがあるけれど、ちょっと露出がアンダーだな。

せっかくフォトショがあるのだから、暇なときいじってみるか。

 

・・・

 

はい、できた。

色が不自然かな。未熟者ですまぬ。

 

足元。

川原にはタニシが沢山。

 

町から港に向かう道。

 

うちらのミニバスが来ちゃった。

車の所までもどる手間が省けたな。

いいわけしておくと、自分以外にも離れた所で写真撮ってたゲストは何人かいたからね。

 

 

再びチェルノブイリタウン内。

 

消防士のモニュメント

 

消防士のモニュメント。(Monument for the firefighters of the Chernobyl accident)

 

プリピャチの町から消火に駆け付けた消防士たちは、事故直後にお亡くなりになりました。

 

プリピャチの病院地下には彼らが事故当時身に着けていたものが今でも散乱していて、病院地下は超高レベル汚染区域。

 

事故処理ロボット

 

これは事故当時、活躍したロボットの数々。

 

小型の工事車両みたいなニュアンス。

放射能汚染マークの不気味さよ。

 

大した装備もしていなかったリクビダートル (Ликвидатор ; Ликвидаторы Чернобыльской аварии) が臨海戦術で収束作業していたイメージが強くて、こんなロボットが活躍した印象なかったわ。

このリンクの動画でも見てみて。

 

 

今回はここまで。

次回は必ずツアー客が行く幼稚園から。

 

ちょっと今回はリハビリ兼ねているし、控えめのつもりだったけど、制作に時間かかったわ。

それに、チェルノブイリタウン内が絵的にちょっと地味かもな。

ま、翌日もタウン内をちょっと尋ねる機会はあったので、そこで今回とは違う町の様子が紹介出来るかも。

本当は自由に歩いて町の隅々まで散策したかったわ。

 

なお、今度の土曜日からコーカサス行くので、しばらく更新出来ません。

でも、前ほど放置もしません。

やっと更新に必要な環境そろえたし。

生きて帰ってきたら、また更新します。

 

サムネイル用

 

 

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チェックポイント:DytiatkyとZalissya村 - チェルノブイリツアー

Zalissya (Залісся) 村の courthouse (郡庁舎の意味だけど、意訳すれば "村役場" ってことでもいいかね)

 

 # 2017/05/02 メインの PC が壊れました。その PC 内には Photoshop や元画像等があり現状動けない状況です。

新しいPCを購入したら、HDD からデータをサルベージする予定です。

多分、GW 明けまで更新出来ません。

 

 

ブログの更新をしようしようと思って、でも気が乗らず気付いたら大分時間が経ってたという。

前回の続きで、チェルノブイリ・ツアーが始まった所から。

 

 

卵の彫刻

集合場所だったキエフの独立広場から P02 road を北上。

前回の通り、途中ガソリンスタンドに寄ったり。

 

道中、こんな感じ


GoogleMap で距離を測ると キエフから 86.5 Km、座標が 50.950543, 29.881892 の所にロータリー交差点があって、そのロータリーの真ん中にでかい卵の彫刻がある。

ドイツから持ち込まれたもので、ま、卵だけに生命の象徴なんでしょう。イースターの通り。


この彫刻、ツアーでは特に触れられていなかったけれど、エレナのサイトによればここが、現在 (原則) 人が居住している限界になっているらしい。
となると、ここに生命の象徴を置くという行為はとは、なんとも皮肉めいた感じもするけど、置いた人達の思いや願いなんかを強烈に感じたりもする。
なお、ここは通り過ぎただけで、特にガイドからの説明は無かったし、写真を撮るような時間もなかった。
移動中の車内からふとロータリーをみたら、その卵があったっていう確認。
ちょっと触れてくれてもいいのにな。

 

村の跡を示す標識だ。村の名前に入った赤い斜め線が印。

この辺りから、廃村の跡を道沿いに時々見る事になる。

 

Dytiatky (チェックポイント)

チェックポイントに到着。

Dytiatky (Дитятки) っていう所。

 

チェックポイントなので、ここですべての車両は入出をチェックされる。

 

いろいろ説明書きが。

 

この立ち入り禁止区域についての説明。

この立入禁止区域は 1986 年チェルノブイリ原子力発電所の事故の後に設けられたとのこと。
広さは 259837.8 ヘクタールで、ルクセンブルクと同じくらいの面積。

他、チェックポイントが何箇所あるとか、橋が何箇所あるとか、そんな内容。

 

写真もあって、ちょっとテーマパークみたいと思ってしまったのは不謹慎でしょうか。

 

もう一枚、説明の看板があった。

こっちの方が大事な事書かれてる。

動植物を持ち込むな、持ち出すな

あとは服装についてですが、ざっとスキャニングすると、単純な長袖長ズボン、靴以上の装備を求められているようにも見える。

こっちはあまり気にされてないルールのかも。

 

多分、そこのチェックポイントで名簿を見せてる。

 

車両一台ずつの入域なので、結構時間がかかる。

ツアー会社の車が多いけど、若干作業車も混じる。

 

あの人は自分が参加したツアー会社とは別の会社のスタッフ

 

別のツアー会社の参加者達。

ヨーロッパの若者が多い。

バンドマンみたいなイデタチのにいちゃんが何故か多いな。

 

なんか垢抜けない。

完全に偏見だけど、 Wacken Open Air とか観にいってそう。

 

一人一人、名簿とパスポートで名前の照合。

予め申請された名簿と搭乗者を厳重にチェックしてた。

 

全員の照合が完了した車からエリアへ入っていく。

 

自分が参加したツアー会社の日帰りツアー用の方の大型バス

こんなでかいバスを出すほど人気。

 

バス停が。

パブリックのバス走っていても不思議ではない。

 

待っている間、あまりにも暇なので、道路脇から平原を見てる。

こんなのどかで殺風景だけど、放射能汚染されていると考えると不気味にも感じる。

 

こっちが二日ツアー用、つまり、自分が乗ってるミニバス。

やっぱツアーは二日ですよ。

ナンバープレートにウクライナ国旗が描かれている事に後から気付いた。(あたりまえなんだけど)

 

うちらのツアーガイド。

この写真の後、ガイドに注意受けた。

出発前に貰ったリーフレットに従業員を撮るなって書いてあるのに、ふてぶてしく写真撮ってたから。

なので、こんな写真をアップしていると、どっかから怒られる可能性あり。

 

ウチらも他と同様にチェックが終わった後、車に再搭乗。

ポイントを抜けて北上開始。

いよいよ本格的な被災地って事になる。

 

注意事項と免責事項が書かれた紙に全員がサインする。

 

書かれている免責事項が結構恐ろしい。

「私は、高レベルの放射線で将来的に健康に害となり得るエリアに、滞在する事を完全に理解しました。」

直訳するとこんな。

ま、サインしないと先に進めないんだけどさ。

どうなっても自己責任という意識を持っておかないと。

 

そういえば、ソウルから DMZ - 板門店のツアーに参加すると、チェルノブイリとはリスクの種類は異なるけれど、万が一に備えての免責事項にサインさせられたね。

 

Zalissya Village

 

さて、まず我々が向かったのは、Zalissya Village (Залісся) っていう廃村だ。

ウクライナ語で "森の向こう" っていう意味らしいぞ。

 

Zalissya Village (Залісся) 入り口

 

ここは、2days ツアーなら、はじめに訪問する事になる廃墟村。
事故前に約 3000 人が住んでいた定型的な村の一つ。

僕ら以外にはいなかったので、日帰りツアーの場合はここ省略されちゃうんでしょう。

 

前回の記事にある地図のリンクにもこの村の地図があるので、それを見るとわかるのだけど、本来 Zalissya Village は、この道の両側にかなりの広範囲に広がっているんだけど、僕らが立ち寄ったのはこの道一直線のみ。


村には郡庁舎あって、この村に立ち寄るツアーの場合にはその建物がメインの見所になっている。
郡庁舎っていうとなんとももやっとしてしまうんだけど、ようは村役場だ。

そんな見所に国道の一番近い所から真っ直ぐ入っていくっていう手筈だ。

 

ま、そこにたどり着く前に、廃屋も沢山見る事が出来る。

 

じゃんじゃん廃屋あります。

 

置いていかれない程度に自由に入ってよし。

 

しかし、入ったとしても特になんもないし。

どの廃屋も似たようなもんだし。

 

村はこんな風に森の中に埋もれつつあります。

 

もはや、立派な林道。

 

はい、村役場。

他の家より明らかに立派な造り。
この中には立派な講堂が残ってる。

 

近寄る。

 

地面を見ると、ガラスが散乱しててアブナイアブナイ。

 

入り口。

 

なか。

村役場だけあって、さすがになん部屋もあって広い。

壁のタイルに施されたレリーフが不思議な感じ

 

床抜けてるし。

 

反対を向くと、そこが講堂だね。

演劇に最適なミニシアター。整備すれば使えそう。

ソビエト時代の空気が残ってる気がする。

 

灯油入れかなにかかな。

 

抜けた床の部屋を恐る恐る奥まで入ってみた。

怪我しても自己責任なんだろうなぁ

 

壁がボロボロ。

事故当時は黄色に塗られていたんだね。

ほとんど剥がれ落ちて、時間の経過を感じずにはいられない。

 

裏庭に出てみた。

なんかフイルムがあった。

さっきの講堂で映画鑑賞会とかやってたのかもな。

どんな映画だったのか。

きっと退屈な映画だったに違いない。

 

裏側から見ると、レンガ造りなのがわかる。

 

なにやらごちゃごちゃ

 

裏庭にあった納屋みたいな所だな。

 

骨組みがしっかりしていて、事故さえなければ今でも現役で使えてたんだろうな。

 

表玄関に戻る。

ちょっと晴れてきた。

 

建物の上部にはソ連時代のマークが残ってる。1959 年に造られた建物なんだね。

ロゴも年号も、昔のソビエトの威信って感じ。

 

さっきの講堂もそうだけど、在りし日のこの場所の雰囲気とかなんとなく感じられる。

そういう時、他の廃墟とも同じで、なんとも切ない気分になる。

 

さて、戻り。

 

タイヤが棄てられてる。

このタイヤ、事故当時のものか、それとも後から運び込まれたものかわからん。

 

でも、廃車はあっちこっちにある。

 

さっきのタイヤの山はこれら車のものだったのかな。

 

結構保存状態の良い一般住居

 

入ってみよう。

 

うーん、どこも変わらんね。

 

大体同じよ。

抜けた床と、生活ゴミの類と、何に使われていたのかわからない不燃物が散乱してる感じ

 

こういう本の切れ端を見ても、リアルに事故当時のものだね。

 

井戸。

井戸は良くない。

地下水はおそらく毒性高そう。

 

きのこ。

きのこは良くない。

この土地のきのこはセシウムを大量に含んでそう。

 

ホント、普通にどっかの林を歩いているような感覚にもなる。

 

なんか動物の骨。

牛かね。

 

国道から村へ入っていく辺りにある Memorial to fallen countrymen。ようは共同墓地。

この墓地は今でも献花が続いてる。

 

ソビエトのマーク、ここにも。

 

入ってすぐの所にある。大きめの小屋。

用途不明。

学校か、工場か。

 

国道まで戻ってきた。

 

天気がいい。

 

のどかな雰囲気。

でも、場所が場所だけにちょっとその "のどかさ" が怖い。

 

そろそろ出発。

次の目的地へ。

 

Zalissya 村は、村全体は完全な廃墟で自然の中に埋もれつつある感じだった。

廃墟、廃村っていうだけで、そんなに凄いものを見る事が出来るわけでもないけれど、村役場はなかなか立派な建物だったし、ソビエト時代の栄華を感じたような気もしたので、まあなかなか良かったかな。

 

サムネイル対策用

 

 

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チェルノブイリツアー概要とか注意点とか

独立広場 Maidan Nezalezhnosti (Майдан Незалежності) 

 


既に 2017 年も三月の終りだ。

今年の GW はどうやらおそらくどこにも行けない悲しい事態なのだけど、まだまだ去年の事を書き綴る。

2016 年に行った旅先では、チェルノブイリが一番印象に残った。


え?なんでチェルノブイリ?って時々聞かれるのだけど、なんか抽象的な物言いになってしまい、しっかりとした説明が出来ていないと自分自身で思っていたので、その辺りから掘り下げて自分自身でも整理がつくような目的で、その辺から。

 

なお、自分語りがウザイと思った人は、はじめの所は読み飛ばして、"チェルノブイリ ツアー会社の選定方法" の所から読んでほしい。

 

チェルノブイリへの興味

まず、遡ることチェルノブイリ原発事故はまだまだ子供だった頃の話で、事故の当時は雨に濡れないように言われてた気がする。
事故当時や事故以降、日本でもこの事故について何度もテレビ番組でやってきたし、自分はよくよくそんな番組を観てきた。
それはチェルノブイリに限らず、スリーマイルでも、東海村でも同じだったし、事故に限らず、イギリスの核再処理施設のドキュメント番組なんかも未だに覚えてる。
自分としては、これらはすべて良く分からない不気味なものを観る感覚だった。
ずっと長い事、そんなチェルノブイリのような汚染された場所に絶対行けるわけないし、行きたいとも思っていなかった。
ぼんやりとあんな放射線物質で汚染されたエリアに行くなんて、むしろお金を貰っても行きたくないと思っていたくらい。


ただ、昔から廃墟には興味があった。
いわゆる廃墟写真集みたいなのみるの好きだった。
古代の遺跡等になると、今となってはほとんど興味が沸かないのだけれど、近代の遺構となると話は別。
これらは時代が新しいせいか、個人的にはノスタルジーな感覚を持ちやすいし、当時の生活感もより間近に感じられる気がする。
現代社会の問題に由来しているから、存在をよりリアルに感じられるというか。。。多分、社会見学のようなものも兼ねていると思う。

あー、あと、これも不謹慎ながら、スリルというのもあるかもしれない。

ホラーゲームを人はなぜやるのかっていうね。


そんな理由からか、世界遺産として公式に行けるようになるずっと前から軍艦島にも行ってみたいと思っていた。
多分、人にチェルノブイリのどのような所が良いのか聞かれるとしたら、「軍艦島へ観光に行くのと似た感覚」といえば分かりやすい説明になっているのかも。


安直なカテゴライズだと、これはダークツーリズムの類。
アウシュビッツもキリング・フィールドもアラル海も原爆ドームもコレヒドール島も、種類は違えど負の遺産という点でこれらの観光はダークツーリズム。

 

ダークツーリズムは不謹慎という考えもあるけれど、自分はそれよりも行きたい、行ってみたいっていう気持ちが表に出る。
じゃ、福島第一原発や津波の被災地に観光に行くと仮定した場合、被災、被害に遭った人達の事を考えれば、"観光" という体で行くのは確かに不謹慎とは思う。

極端な話、火事現場や事故現場の野次馬のようなものだから。

それでも、正直に言って同様に結局は「行ってみたい、見てみたい」っていう気持ちにはなる。
これらダークツーリズムについて、結局何が正解か、申し訳無いのだけどわからない。
良い面悪い面あるとは思う。


ざっとまとめると、
良い面:社会見学 / ホラー的なスリル (非常に不謹慎)
悪い面:不謹慎 (かも)

 

エレナの件と方々の訪問記事を読んで

次に、インターネットの普及の過程で 2006 年頃、エレナ (Elena Filatova) という女性のブログを見た件。

 

elenafilatova.com

 

この中の 2003 年〜 2005 年の記事 Ghost Town and Land of the Wolves だ。
当時はまだチェルノブイリ一帯に個人で、かつ、バイクで制限区域や四号炉の手前、廃墟のプリピャチの町等がブログのレベルの写真で生々しく伝えられているのが珍しくて、かなり印象を強く持った。


2006 年の頃は、このエレナのサイトを日本語訳されたサイトも存在していたのだけれど、どうやら日本語訳されたものが本として出版されたらしく、気付いたら日本語訳のサイトは非公開になったようだ。

 


ネットで日本語訳サイトが無料で公開されていたのに、それを非公開にして本で販売している?
ちょっと下衆い。

英語サイトは上述の通り生きているので、タダにこだわるのなら、そっちから英語版で読むしかないわ。


なお、このエレナなる女性のブログについては、ネットでは全部ガセ、捏造という説もあり、真偽は 2017 年の自分にもわからない。
嘘だとしている人達の根拠として、"チェルノブイリの森―事故後20年の自然誌" という本の中でガイドのリマという女性が、

 


> 「あんなの嘘よ! ここでバイクになんか乗らなかったわ。私たちの車でゾーンに入って、それに旦那もついてきたのよ。 
> バイクのヘルメットだけ持ち歩いて、写真だって全部、旦那が撮ったんだから」


と言ったとある。
ブログを観た人達に、事故をより印象付けるために、おどろおどろしく誇張して語っているともどっかで読んだ。
...でも、この 2004 年の旅を読み進めていくと、事故当時の写真を挟みつつ、途中に本当に写真の中にバイクが出てくる点を踏まえれば、ガセじゃないような気もする。
だって撮影用にバイクを車で運ぶのって効率悪くない?


2017 年の今でもこのサイトが存命して、更新されている事も、やらせ疑惑を否定する材料になっていると思う。(ガセならとっくに逃げてるんじゃね?)
一方で、Wikitravel によれば、チェルノブイリは案外昔 2002 年から一般人も立ち入り可能となっていたらしい。

2002 年から観光可能だった点は、ガイドのリマの証言の方が信憑性が高くなり、エレナ記事が捏造だって疑惑が強くなるわけか。

 

> Today, the Chernobyl Exclusion Zone is a tourist destination. In 2002, it opened for tourism, and in 2004 there were 870 visitors. Now there are around 30 thousand tourists coming each year (as of 2015).

 

 

さらによくわからないのは、日本の Wikipedia では、2010 年から一般公開されたとあり、その 8 年間のズレはなんだろ?

公式には 2010 年だけど、2002 年以降は非公式に訪問可能だったって事かな?

 

> 2010年12月21日より、ウクライナ政府は正式にチェルノブイリ原子力発電所付近への立ち入りを許可した。本来は発電所から半径30km以内はそれまで立入禁止であった。ウクライナ政府が正式にこのような許可を発表したのは、現在は発電所付近の放射線レベルが低くなったためとの発表があったためである。キエフからはツアーが催行されている。無人の土地となった現地一帯は、野生動物の宝庫となっている。

 


いずれにしても、段々といろんなブログでチェルノブイリ訪問体験が記事として書かれるようになって、「なんだ、訪問しても大丈夫なんだ」って思い始め、いよいよ「ああ、自分も行ってみたいな」って思うにいたった。
多分、自分にとってのその先駆けは、"チェルノブイリ原発に旅行で行ってきたけど何か質問ある?" という 2009 年の 2ch のスレッドを、たまたままとめサイトかなんかで読んだ事だったかな。
2009 年って事は (日本の Wikipedia の通りとすると) 一般公開される 1 年前だけど、ガイガーカウンター装着必須等、主に装備の面で今よりも厳重だった事が読み取れる。

 

ガイド本について

チェルノブイリに関する文献は沢山あると思うのだけど、旅行者目線では、Lonely Planet の ウクライナ編で十分かと。

 


Lonely Planet の ウクライナ編には Visiting Chernobyl という記事で紹介が 2 ページにわたってある。

そもそもチェルノブイリに行っても安全なの?とか。(はい安全です)

 

ボリューム的にはチェルノブイリに行くだけで買う程ではなく、ネットで確認出来る程度の内容のため、他の街の観光もする前提じゃないと、買う意味を成さないかも。

 

チェルノブイリ ツアー会社の選定方法


チェルノブイリツアーを開催している主なツアー会社についもて記載がある。
以下が実際に掲載されているツアー会社だ。

 


Soloeast https://www.tourkiev.com/
Tour2Chernobyl http://www.tour2chernobyl.com/
SAM http://www.sam.ua
NewLogic http://www.newlogic.ua/en/home
Chernobylwel.come https://www.chernobylwel.com/


他、キエフのアンドレイ坂の途中で見かけた Chornobyl Tour https://chernobyl-tour.com/contacts_en.html でもよさげ。
実際、この件でググってみると他にもいろいろありそうなので、選択肢は多い。
チェルノブイリのツアーに限ったことではないが、こういう現地ツアーの類は、他の人のブログを読んで良く利用されているツアーとか、クチコミの多さとか、メールで連絡をした時にのレスの速さとか、そんなポイントで選択していくのがいい。


自分が利用したのは SoloEastTravel。
他の人のブログを拝見した際に比較的よく利用されているようだったし、メールした際、レスが早いし PayPal での支払いも可能だったから。


なお、チェルノブイリは 2 日間のツアーで参加するべきで、日帰りで参加してダイジェストみたいに主要なポイントに絞って流すように見回ると、しっかり観光出来る気がしない。


Duga-3Jupiter factory は二日間のツアーでないと省略される可能性大だ。
日帰りツアーで Duga-3 に行ったブログも読んだけれど、その分他の時間が削られるんだろう。
それでも Duga-3 は圧倒的なスケール感でかっこいいので、これを省略されるのはかなり痛い。


夏の間はチェルノブイリはキエフから日帰りツアーがほぼ毎日開催されているものの、僕は日帰りでは物足りないので、他のウクライナ観光の時間を削ってでも、2days ツアーに参加したかった。

 

他の人のブログを読んだ際に割りとがっがりしたという感想も結構見受けられたのだけど、それは多分日帰りツアーに参加しているからで、このツアーの真の醍醐味は ニ日ツアーにあると思う。
さらに踏み込んで、もはやツアーではなく個人手配で行くのもいいかもしれない。
今回、自分が参加した二日のツアーでも、ヤノフ鉄道駅 Yaniv railway station (Янів) に行かなかったので、その点はちょっと今でも心残りだ。

 

個人手配なら、

Duga-3 に登れる?(もう無理かな)

制御室は入れたり?(交渉とお金次第かね)

特別な装備着用の上で病院 No 126 の地下は入れる? (これは是非行ってみたい)

Semykhody Station にも行ける? (従業員専用駅だけど、個人手配なら訪問できるかな)

 

いろいろ夢が膨らむわ。(あえて若干シニカルさを装うw)


日帰りとは違い、こちらは毎日開催されているわけではないので、開催日に合わせてキエフにいるようにしなければならなかった。
調べたら、シルバーウィークに日本を旅立ったタイミングだと、2016 年 09 月 19 日 (月) - 09 月 20 日 (火) 開催分に参加すれば、その後、トルクメニスタンに行くようなスケジュールを立てることが出来た。


それに合わせて大分早い段階:2016/3/30 には先方にメールしてた。
上述開催分:2016 年 09 月 19 日 (月) - 09 月 20 日 (火) の 2 日間ツアーに参加したいっていう内容で。
二日ツアーはやっぱり人気があって定員 (ゲスト) 12 名のため、早め早めのアクションが重要になってくる。
メールでやり取りせず現地オフィスとかでの申し込みだと、おそらくは翌日の日帰りツアーのみ参加可能となり、「あまり良くなかった」っていう感想になる可能性が高まってしまう、(と思う)

 

旅程説明

 

以下に旅程を説明していこうと思う。
大体の旅程はこの地球の歩き方:旅スケ に書いた通り。

 

SW10日間 チェルノブイリと地獄の門等 ウクライナ/トルクメニスタンの旅

 

この一泊二日のツアーはチェルノブイリの街にあるホテルに一泊する事になる。​

なお、チェルノブイリの主要スポットについて pdf で地図がダウンロード出来るサイトがあるので、これらを事前にダウンロードしておくことをお勧めしたい。

 

Chernobyl Maps

http://www.chernobylmaps.com/

 

 

一日目

 

キエフ (独立広場のマクドナルド前) 出発

 

卵の彫刻

 

Dytiatky (チェックポイント)

 

Zalissya Village

 

Chernobyl Town


Chernobyl Port

 

Kopachi Village (幼稚園)

 

運河

 

 

四号炉前

 

プリピャチ入り口

 

プリピャチ

 

メイン広場

 

Palace of Culture Energetik (Дворец культуры Энергетик)

 

遊園地

 

スタジアム

 

高層マンション登頂


スイミング・プール

 

小中学校

 

郵便局

 

楽器屋

 

プリピャチ・カフェ

 

プリピャチ・ポート

 

死の橋


Chernobyl Town (ホテル泊)

 

 

二日目

 

Chernobyl Town (ホテル出発)

 

売店

 

農家 (サマショールの家訪問)

 

Duga-3


プリピャチ

 

ジュピター・ファクトリー

 

警察署

 

ビル倒壊現場

 

病院


講堂


四号炉近く 昼食

 

冷却炉

 

Dytiatky (チェックポイント)

 

卵の彫刻

 

キエフへ

 

キエフ (独立広場のマクドナルド前) 到着、解散

 

 

この後、項目の一つ一つに対して概要にあたる説明文を書いていたのだけど、上手に概要だけまとめる事が出来ず、詳細を書き始めてしまい、そこで記事作成が長い事停滞していたという。。。
なので、一旦これらの項目は目次だけとして、行った順で詳細は個別に書いていこうと思ってる。今は。

 

持って行くものと事前に必要なこと

以前の記事でも書いたのだけど、おさらい。(以前の記事もリンク貼っておくので観てね)

 

チェルノブイリと地獄の門等 ウクライナ / トルクメニスタンの旅概要

 

チェルノブイリ二日ツアーは事前の申し込み (二日間のツアーを強く勧める)
ガイガーカウンター持って行きたいのなら、自前か、レンタルの場合は昔と違って単なるオプションなので事前に申告必須。

服装は短パンはダメ。

長袖長ズボン、底の固いブーツ、スニーカーでもいいと思うが、サンダルはダメ。
靴下はいてないと出発前に買う羽目になる。


プリピャチでは割れたガラスの上やらガラクタの上を歩いたりするので、靴底は丈夫なもので脚をガードしなきゃらない。
なお、素足にスニーカーという女子は結構いるようだ。自分の所のツアー会社ではその点踏まえて出発時に靴下販売してた。

チェルノブイリ辺りは人がほぼ住んでいないせいか冷えるので、防寒着。
自分が行った 9 月中旬でさえ、スウェットパーカーの上にダウンジャケットを着るくらい寒い。

 

留意事項

チェルノブイリでは観る事、やれる事がどんどん減っているという事実。
今後も減る可能性が高いので、行きたい人は早めに行った方がいい。


以前の記事の時点ではまだだったのだけど、2016 年 11 月下旬、ついに四号炉全体を新しいシェルターが覆ってしまったので、石棺の状態を観る事は出来なくなった。


また、Wikitravel によれば、Rossokha と呼ばれる事故当時に使用された乗り物が寄せ集められていた場所は 2008 年には立ち入り禁止になり、その後、大部分の乗り物は解体されて埋められたらしい。

自分のガイドにも直接聞いた際そのように証言していたので、確かな情報だ。

 

この辺のブログが参考になる。

Simon Bučan

 

ただ、今でもちょっとだけ残っている乗り物もあるらしいので、GoogleMap の航空写真で探してみた。
埋められた場所は特定出来ていて、51.155895, 29.982353 の辺り。
今日現在、航空写真からでは残された乗り物らしきものは確認出来ないけれど、上述座標のちょっと 1 ブロック北側辺りに人工物らしき物体が散乱しているので、もしかしたらこれらが、その残骸かもしれない。


こんな風に既に大きな見所では二箇所、観る事が出来ない。

また、これも前の記事の通り、ゴーストタウンのプリピャチでは、2012 年 4 月に建物の倒壊があって、ツーリストが巻き込まれた影響で、表向き全ての建物への侵入が禁止された。

現に SoloEast の 2days の旅程を確認しても、プリピャチの町で建物内に入るような記述は無い。


あくまでこれは表向きで、ツアーに参加すれば代表的な建物のいくつかに入っていく事は現状可能。
でも、これもいつまで持つかわからない。
今に本当に危ないという事で表裏かかわらず、禁止されてしまうかもしれない。
 

集合と出発!

それで、一番最初の写真に戻るわけだ。

 

独立広場 Maidan Nezalezhnosti (Майдан Незалежності) マクドナルド前

ツアー集合時間 7:45 で、9 月なのに結構寒い。

手前のミニバスが 2days ツアーの車で、奥に隠れている大型のバスが日帰りツアー用だ。

 

点呼の後、手渡されるリーフレット。

 

中身はざっとした紹介になってる。

 

こっちの面はいろいろ禁則事項が書いてある。

一番やってしまいがちなのは、制限区域内で働く作業員等を撮影してはならないっていう点。

 

2daysツアーのガイドさん。多分、自分よりも年下。

この後、日帰りツアーに日本人三人組がやってきて、その内の一人が申し込み時のパスポートから新しいパスポートに変わったらしく、"Big Problem!" と言われていた。

説明を横聞きしていたところ、パスポート番号が違うからこのままじゃ参加不可能。

特別に再申請をするので、その場で申し込みし直しをせまる。

つまり、パスポート番号が変わってしまった日本の方はどうやらもう一度参加費用が発生するらしく、その費用を 3 人で折半していた。

気の毒だけど、ああ、こういう事があるから一人旅って楽だって思う瞬間。

 

なんだかんだと点呼は結構時間がかかり、ようやく出発。

 

キエフ市内を走ります。

 

車内では噂の (オアツラエムキな) 事故関連のムービーが流される。

 

当時のニュースだね。

英語って事はイギリスのニュース?BBC?

 

健康には絶対に危険は無い。

実際、隣国ベラルーシのゴメリでは多くの子供達が甲状腺がんになったんだけど。

チェルノブイリ ハートっていう映画をみてほしい。

ただし、この映画、結構最近の訪問なのに原発周辺で防護服を着てるんですが、それは多分誇張。

 

 

健康には絶対に危険は無い〜命に直ちに影響はない

 

この胡散臭さ。

福島第一原発の時の報道を思い出す。

その場しのぎでパニックを防ぎたいだけでは?

もうちょっと長いスパンなら実際人体に影響出るでしょうに。。。

 

ウチは子供頃から転勤一家だったので、特に思うのだけど、人は自分が住む土地に執着する必要は無い。

経済的な理由ならまだしも、先祖代々とか知り合いが多いとか、故郷がどうだとか、そんな理由で健康被害のある大地には住んでほしくない。

それよりも自分は、"住めば都" この言葉の方が故郷という言葉よりも大事な事と思う。

 

あ、ゴルバチョフさん!

懐かしい!

 

かなり走ってガソリンスタンドで小休止。

車も給油します。

 

ガソリンスタンドはちょっとしたスーパーも併設。

 

品揃えは豊富。

お店も綺麗だし。

チェルノブイリ行く人は大抵立ち寄るのかも。

 

チェルノブイリ産の酪農製品、、、な、わけはなくキエフ辺りから運ばれているに違いない。

 

日本のコンビニと変わらない感じ。

 

 

引き続き動画を観させられてる。

これはミュージックビデオ。

後から調べたんだけど、Crucifix っていう現在のジョージア出身のラッパーで、曲のタイトルがずばり、"Chernobyl" 。

プリピャチの廃墟の中が沢山出てくる。

YouTube でも観る事が出来るんだけど (リンクはこちら) 正直言って、退屈なラップコア。

 

 

次回は Dytiatky のチェックポイントから。

 

 

サムネイル対策用

 

 

 

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夜のキエフ徘徊

黄金の門 Golden Gate (Zoloti Vorota/Золоті ворота)

 

今日は TOEIC L&R 公式を受けてきました!
首が痛い!
ブログ書いてる場合じゃないかも。。。


さて、前回書いたように年末年始はベネズエラへ行ってきました!
懸念していたような人災等、特に大きなトラブルも無く無事帰ってきました!
むしろ、自分が接したベネズエラの人達はみんなとてもフレンドリーでいいやつらでした。
ロライマ山の一緒になったベネズエラ人達とは、別れ際に本気で悲しくなったり。


トラブルといえば、
・ロライマ登山の際、グラン・サバナのキャンプサイトでプリプリに刺されまくり、今も後が消えない
・カナイマのホテルにダウンジャケットを庭に干したまま忘れた
・往路のニューヨーク-成田のフライト機内にネックピローを忘れた
こんな感じ。


相変わらず、ものの置き忘れが多過ぎる。
過去の置き忘れの件からもうちょっと対策を考え直したいです。


テレビ番組:クレイジージャーニーでやっていた Dr. クノッチェ の ミイラ研究所 (Mausoleo del Dr. Knoche)、カラカスに寄ったついでに行ってきました!!!
テレビでやっていた通り、山道がとんでもなく険しかったです。
獣道を草をナタで掻き分けながら進むような必要があり、一人じゃ絶対無理な場所にありました。
こちらの詳細レポートは地球の歩き方掲示板に書いたので、見てください。
クレイジージャーニーでやっていたDr. クノッチェ のミイラ研究所(Mausoleo del Dr. Knoche)へ行きました

なんか、急いで書いたせいか日本語が変だわ。。。


ところで、まだまだベネズエラのインパクトが大きくて、ブログの更新も滞ってます。
まだ膝が痛かったり、プリプリに刺された跡、およそ 200 箇所くらいが消えないし、痒いです。
あと、今年から仕事が微妙に忙しくなったのと、今更 Pokemon go 始めたので、それに時間を取られていたりします。


あー今年は仕事の影響であまり海外行けないかもなぁ
ゴールデンウィークは 9 割方無理かも、、、北朝鮮を考えていたのですが、、、

 

 

本編

街へ行くのに道に迷う

前回の記事の最後に書いた通り、キエフ ジュリャーヌィ国際空港 (Міжнародний аеропорт „Київ” (Жуляни) (Kyiv International Airport Zhuliany)) を出て、バス乗り場へ行ったものの、ここからちょっとトラブルに。

Lonely Planet によればトロリー#22 に乗れば地下鉄 Shulyavska 駅 (Subway stations: Shuliavska) まで行けるようなので、後はそこから地下鉄で独立広場まで行こうと考えていた。

これまで空港から市内、市内から空港までタクシーばっかり使ってしまったので、ここでちょっとは節約したいと思ったから。

 

実際、バス停には 22 番の表示があったので、しばらく待っていれば来ると思った。

が、来ない!

他のバスはくるのに、、、

一時間くらい待ったっけ?

これくらい待つと結構焦る。

もしかしたら、22 番は早めに終わっちゃったんじゃ。。。とか。

 

そこで、別のバスに乗ってみる事にした。

一応、運転手に "Going to subway stations?" とか運転手に英語で聞いてみると頷いたので、これでいっかって思った。

万が一、迷ったら、ギブアップしてそこからタクシーに乗ろうとか、適当に考えた。

これはちょっとしたゲームなのだ!

 

で、そのバスでずっと乗っていたんだけど、30 分くらい乗っていると他の乗客もいなくなり、またもや心配になってきた。

もしかして、このまま郊外を走り続けたらどうしよう?

さっき地下鉄駅行く?って聞いたときは頷いてたけれど、もしかして通じていなかったのかも。。。とか

 

そんなこんなで 40 分乗ってギブアップ。

降りてタクシーに乗り換えようと思った。

タクシーに乗るにしてもタクシーが停まっていそうな場所で降りないとエライ事になる。

そんな風にちょっとは冷静に考えて、バスの窓から外の風景を見てた。

しばらくしたら、なんか大きめのショッピングセンター的な建物があった。

ああ、じゃこの辺で降りてみようって降りちゃった。

 

どっかショッピングセンターについたんだけど、タクシー停まっていない。。。

しばらく大通り沿いでタクシー待ってみた。

バスは来るけど、どこいくのかわからん。

タクシーはちっともこない。

辺りに人は多いけれど、英語通じるかわからず、聞くのも躊躇ってしまう。

そういえば、ショッピングセンターっぽい大型の建物なのに、一階部分しか入る所がない。

案外規模は小さいかも。

あーちょっと絶望的。。。

 

そこで、大通りの交差点を地下道を通って反対側へ行ってみた。

そこには。。。やった!タクシー乗り場らしきものがあってそこでタクシー拾えた!

 

独立広場までやっと行けた!

300UAH くらい取られたけれど、(たぶんふっかけ) 構わん。

こういうときは必要経費だ。

 

独立広場から、控えておいた地図を頼りにマクドナルド近くの坂を登る。

 

ちなみに、上述 キエフ ジュリャーヌィ国際空港のサイトにはバスルートが書いてあった。

今思えば、多分自分が乗ったのはトロリーバスの 9 番なので、結局あのまま乗っていれば地下鉄駅に出れていたと思われる。

ってかほとんどのバスが地下鉄駅にリンクしてるし。。。

早まったか。。。

Sunflower B&B Hotel

そして、、、やっと見つけた。

今夜滞在する Sunflower B&B の小さなネオンサイン。

翌日、チェルノブイリツアーが独立広場集合だったので、独立広場周辺で探したお手頃ホテル。

 

ホテル自体は年季の入ったアパートの二階のフロアにあった。

 

アパートの入り口は、ちょっと奥まっていて暗くて分かりにくかったけれど、ネオンサインが表通りに出ていたので、確信を持って進めた。

 

チャイムを押してチェックイン!

 

部屋は十分にリフォームされていて広くて綺麗で清潔。
調度品の色合いなんかもなかなかセンスが良い。

 

バスルームも綺麗!
このホテル一押し!

 

キエフ徘徊

さて、落ち着いた所でこの後どうするか?だけど、このまま寝てしまうのは惜しい。

明日のチェルノブイリツアーは、集合時間が早いので寝るのが賢明だけど、今後キエフなんてまた来る可能性はかなり少ないし、まだ本来行く予定だった観光スポットに行ききれていないので、この夜の内にそれらを見て周ろうとか、我ながら狂った事を思いついた。
そもそも閉まっているのだから外観のみの観光になるのに。。。

 

で、結局出かけちゃった。

キエフなんてなかなかこれないからっていう思いの方が強かったから。

 

まずは坂道を降りて、独立広場へ。

そこから、ソフィア大聖堂 Saint Sophia Cathedral (Собор святої Софії) へ。

 

ここは、昼間にちゃんと入ったから、立ち止まる必要はない。

素通りしてここを左 (南) へ。

 

黄金の門

じゃん!

黄金の門 Golden Gate (Zoloti Vorota/Золоті ворота) !

やってきた!

 

さすがに閉まっていて、中には入れないけれど、中は狭そうなので外観のみでまあいっか。

 

とりあえず一周ぐるっと。

隣接する公園にはホームレスが一人いたのでちょっと警戒したものの、特に何も無し。

 

結構寒い月夜。

 

プレートがあるけれど、読めないや。。。

 

ゲートを閉める格子状の門。

 

でかい!

 

格子の中をカメラで撮影。

格子状の影が映って、ちょっと不思議な感じの写真になった。

 

黄金の門からさらに南へ。

 

途中ナイトクラブらしきもの発見!Rio っていうのかね?

ドアマンが沢山いた。

ちょっと怖い。

(後から判明、ここはストリップクラブらしい)

 

さらに南下します。

 

ウラジーミル聖堂

ウラジーミル聖堂 / 聖ヴォロディームィル大聖堂 
 (St. Volodymyr's Cathedral / Патріарший кафедральний собор св. Володимира, Patriarshyi kafedralnyi sobor sv. Volodymyra)

 

大聖堂内部は壁画とモザイクが美しいらしい。

 

入れないので仕方なく外から見るだけ。

 

試しにドアを押してみたけれど、さすがに施錠されてた。

 

 

ここから bul Tarasa Shevchenka っていう大通り沿いに東へ。

vul khreschatyk

 

bul Tarasa Shevchenka と キエフのメイン通り vul khreschatyk の交わる所。

ここに アリーナ Arena っていうナイトクラブがある。

 

ここのクラブが今キエフでもっともアツく、値段も高いらしい。

自分、入ってない。

高いらしいのがネック。

カナダのトロントで門前払いくらったトラウマもあるな。

 

フレシチャーティク通り (vul khreschatyk) を今度は北上して独立広場へ戻る。

 

道が広い!

 

こういう道が広いのは共産圏にありがちだね

 

土地が余っているのか、権威的なのか

 

ビルがしゃれてる。

 

あーやっと戻ってきた。

独立広場!

 

地下道を通って対向側へ。

わざわざ地下道通るの面倒くさい。

 

 

キエフ夜の徘徊のまとめとしては、治安は全然問題なし。

こんな風に中心部を歩く分には怪しい人達がたむろっている様子もない。

いや、そもそも人があんまり歩いていなくて、静かで退屈な街だ。

ナイトクラブ前がちょっとだけ賑やかなくらい。

 

Sunflower B&B Hotel 再び

さて、わがホテルへ戻ってきたわけだが、、、すでに夜中に 2 時半くらい。

このホテルは前述の通り、一階のドアでチャイムを押して入る仕組み。

つまりさ、チャイム押すとホテルの人 (ってか家族経営っぽい) が手動で開けてるわけ。

 

チャイム押してもさすがに応答がない。

しばらくここで立ち往生。

夜中に押すのは躊躇われるけれど、そもそも夜中外に出るのは滞在者の勝手なので、堂々と押し続ければいいのだ!って言い聞かせる。

 

何度かチャイムを押して 20 分くらいでようやくロックが解除された。

安眠妨害してごめんなさい。。。

 

翌朝。

ツアー集合時間は 7:45 なので、7 時頃には何とか無理矢理朝食を出してもらった。

ってか、量少なすぎ。。。昨日は夕飯食べてない。機内食で出たサンドイッチだけだからお腹すいてたんだけど。。。

 

もしかしたら、無理矢理急いで出したせいで、本来出すべきものが出なかったのかもなぁ

 

Sunflower B&B Hotel ともお別れ。

 

二階の右の窓がオフィス。

 

ほら、こんなアパートの奥まった所にあるのだよ。

 

外観は古めかしいけれど味があるなぁ

 

独立広場へ下りる坂道。

 

ここに 24 時間オープンのスーパーマーケットが地下にあって、大活用してた。

 

独立広場のマクドナルドの前には、、、SoloEast Travel  のミニバスと大型バスが停まってた。

いよいよチェルノブイリツアーだ!

 

次回へ続く

 

 

サムネイル対策用

 

 

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搭乗!モーター・シッチ・エアラインズ!!

モーター・シッチ・エアラインズ (Motor Sich Airlines / Мотор Січ) キエフ ジュリャーヌィ国際空港にて。

 

この投稿をした直後、今は 2016/12/23 13:04 です。

これから年末年始の旅行です。

 

行き先はベネズエラ。ロライマ山、エンジェルフォール、オリノコデルタ、カラカス観光です。

スケジュール書いてみたので見てね

今回は時期的な問題と効率性と治安と悪徳警官対策で今回は現地旅行会社にテイラーメイドで丸投げしました。

経済的困窮と政治的な混乱、愚策で暴動が多発していますが、なんで今行くの?とかいわれたりしていますが、今後さらに悪くなって、例えばイエメンみたいに行きたいのにずっと行けなくなるような事は避けたいし、カレンダー的にはチャンスなので。

 

生きて帰ってこれたら、また来年以降更新するのでよろしくお願いします。

では、さようならー

 

 

さて、本題

今回は主に ウクライナ国内線:モーター・シッチ・エアラインズ 搭乗に至るまでと搭乗レビューです。

結果的に気に入ったので、お勧め。

 

なお、Motor Sich の読み方について、グーグル一つとっても、"モトル・シチ" だったり、"モトール・シーチ" だったりと、ちょっとずつ呼び名が異なっているけれど、おそらくはロシア読みと英語読みの違いで、ジョージアとグルジア、コーカサスとカフカスみたいな呼び名の違いと同様と思われる。

 

モーター・シッチ・エアラインズ 搭乗までの経緯

経緯なんてどーでもいいと、思われるかもしれないけれど、経緯は一筋縄にはいかなかった。
そもそもは、今年の 6 月頃、オデッサからキエフへ戻るフライトを Skyscanner で探した時、モーター・シッチ・エアラインズ (Motor Sich Airlines / Мотор Січ) っていうエアラインが出てきた。


フライトの内容を確認してなかなかいいじゃん!って思った。
なぜなら、ウクライナ航空よりも都合の良い時間帯にフライトがある (ウクライナ航空だと昼くらいには空港へ向かわないとならない時間帯だった)
それに、キエフの拠点がボルィースピリ国際空港ではなく、より市内に近いジュリャーヌィ国際空港である点も評価高い。


ただし、これにはすっごい不安な点もあった。
本航空会社について、Google 検索等を実施しても評判が良い/悪い以前に、搭乗した人の記事や投稿が無い、もしくはあまりにも少なかった。
これは、このモーター・シッチ・エアラインズがザポリージャ (Запоріжжя / Zaporizhia) っていう街を拠点としており、外国人のウチらにとって、ウクライナ観光の主要な都市である Lviv や Odessa を Kiev を結ぶフライトが 2016 年 6 月 6 日から開始となっていた (この検索をした 2016 年 5 月頃の時点では、まだ開始していない状況だった) ため、これまで搭乗した人が相対的に少ない事に起因していると思われる。


https://en.wikipedia.org/wiki/Motor_Sich_Airlines
Lviv - Lviv Danylo Halytskyi International Airport (begins 6 June 2016)
Odessa - Odessa International Airport (begins 6 June 2016)


Wikipedia によれば、モーター・シッチという企業自体は大手航空機エンジンメーカーで、このモーター・シッチ・エアラインズは、この企業が 80 年代に設立した航空会社らしい。


大手航空機エンジンメーカーが立ち上げたのなら、この航空会社もいろいろ正確でしっかりやっていそう (イメージ) だけど、一般的にシステム等を新たに立ち上げる場合等は、初めからスムーズにはいかず、なんらかのトラブルが出てくる事が多いのはよくある話だ。
一番恐れていたのは、ディレイとキャンセルだ。
信用が無い会社のフライトがなんとなく立ち消えとかになったら、目もあてられない。


で、どうしたかといえば、後先考えず、とりあえず、航空券は 1 万円以下で安いので買っちゃった。
それから、地球の歩き方の "旅の Q&A" に投稿した。
どなたか本航空会社の搭乗経験がありましたら、体験談を教えていただけないでしょうか。ってね。


実際の投稿がこちら


で、全然レス付かなかったから (結果的に 7/30 に搭乗体験のコメントをいただいたのですが。。。) この時点ではしかたなく、マルチポストというマナー違反になるけれど、Lonely Planet の掲示板にも書き込んだ。

以下が実際のリンクと書き込み内容より抜粋。

 

Motor Sich Airlines

Hi, I'm planning to take a flight from ODS to IEV in September and have already booked a flight on Motor Sich Airlines.
The reason why the flight time is better than Ukraine International Airlines, and Zhulyany International Airport (IEV) is closer to central than Boryspil International Airport.


However, I'm anxious about the flight, especially delayed and cancelled, because I can not find any reviews of the airlines.
The airlines will launch new routes from Kiev to Lviv and Kiev to Odessa on 6 June 2016. Which means that these routes have not yet been launched.


https://en.wikipedia.org/wiki/Motor_Sich_Airlines
> Lviv - Lviv Danylo Halytskyi International Airport (begins 6 June 2016)
> Odessa - Odessa International Airport (begins 6 June 2016)


Motor Sich is one of the largest engine manufacturers for airplanes, so I think the airlines might be punctual.
Generally speaking, new systems tend to disorder.


If someone has flown by Motor Sich Airlines, please tell me about reviews.
One more question: In general, some airlines launch new routes, is it error prone?

 

 

これについて、何個かレスをいただいた。

その中で、


In short, would I fly on Motor Sich? I'm not sure. Probably--I like adventure and have flown on far worse. I am making this exact decision as I leave Thursday for Kiev. I have always wanted to fly on a Soviet designed plane before they are all gone. However, I'm just not sure about this airline. Plenty of Russian and Soviet planes flew regularly to the US and The EU by safe airlines. To be banned you have to be a pretty bad operation and the fact out of 34 built, 6 have had accidents that's a really horrible percentage. That's would be like the Boeing 747 out of 1200 or so built having 275 crash!!??

 

だって!!


いやはや、英語力が低いので、その点は本当に恥ずかしい。
ロンプラの掲示板内で回答いただいた話では、モーター・シッチ・エアラインズはプロペラ機で、このプロペラ機は Antonov An-140 という機体という話。


そして、どうも、造られた 34 台中 8 台でアクシデントが発生しているという、恐ろしい事故率の投稿をいただいてビビッた。
それでもこのソビエト時代のデザインを見る事が出来るのは、もはや少なくなりつつあるので、絶滅する前に早めに搭乗しておくという考え方も悪くない。せいぜい墜落して死ななきゃいいなって思った。

 

予約方法と確認方法

前後する内容だけど、本モーター・シッチ・エアラインズの予約方法について、フライトは SkyScanner の検索でも引っ掛かり、任意のエージェンシーで購入は可能。
でも、個人的には公式からの直をお勧めしたい。

 

まず、自分はヨーロッパの代理店は良く揉めるので、利用を避けている。
これまでの例だと、


ギリシャの代理店経由でマレーシア航空の航空券を購入、キャンセルしたものの、当初の説明とは異なり購入代金が発生。
半年以上ありとあらゆる催促をしてようやく返金。
この際、返金が遅れている原因は特定の手続きが滞っているマレーシア航空側にあるという言われ方をしていたが、マレーシア航空へ直で確認した結果、結局、このエージェンシーが手続きをまともにしていなかった事が発覚。


ドイツのエージェンシーでカトマンズ、ポカラ間のブッダ・エアー往復チケットを購入、リコンファームも不要という回答を得ていたが、現地で自分の名前が搭乗者リストから消えている事が発覚。
往路は空席にそのまま変更して事なきを得たものの、復路は空席が無く、リストに自分の名前も無いという事で、ブッダ・エアーのマネージャーと小一時間交渉。
108 ユーロ再度支払い、CA となりの補助席に座る事を許可される。
その際、エビデンスとしてリスト一覧のコピーをもらっておく。後日、リストから自分の名前が消えていた事を代理店へ問い詰め、100 ユーロ返金。
ただし、差額の 8 ユーロは「もともとの購入代金が100ユーロだったからそれは負担できない」と拒否される


次に、エクスペディア等にすると、一気に 2000 円くらい高くなるので、もともとのチケット金額からすると相対的にかなり高い。

なので、これも選択肢から除外。


これらの事から、個人的はお勧めはモーター・シッチ・エアラインズ公式サイトからの予約が一番良いと思う。
URL はこちら
英語にも対応しているので、Buy のタブから行き先と日にちを入れれば購入可能。
特に迷う要素はない。


この際、問題になったのは予約の確認だった。
購入後、Check my ticket タブで
"booking number and ticket number" を選んで "Booking number" と "Ticket number" を入れる必要があるのだが、届いた E チケットがウクライナ語のため、ちょっとトリッキーでわかりにくい。
なので、実際のチケットとともに説明してみる。

 

 

赤文字で書いた通りだけど、確認に必要な情報は、以下二点。

 

НОМЕР БИЛЕТА: Ticket number (先頭から 13 文字まで。末尾に離れて書かれている数字 "2" は含まない)
ДАННЫЕ БРОН:Booking number

 

自分の場合だと、以下となる
G5Х7ОZ が Booking number
0112440035649 が Ticket number

 

これらの情報を Check my ticket に入力する事で予約確認可能。

その他、氏名、パスポート番号、日時や時間等もチケット内に書いてみたので参考にしてください。

 

なお、自分が予約確認をした時は "Unable to generate itinerary recei" という返答となり確認が出来なかった。
これを先方へメールし、しばらく日にちがたった後、この不具合は解消さて予約確認が出来るようになったっていう経緯もあったりする。

 

ピンク・フロイドで大盛り上がり

搭乗体験前に、オデッサのホテルから空港までの小話を挟む。


キエフへ戻るべく、オデッサ空港へ行く。
下手に公共機関なんて使わず、ホテルでタクシー呼んでもらった。
タクシーといってもどっかのおっちゃんの車。


車の中でおっちゃん、Pink Floyd The Division Bell (邦題:対) を流しており、「おっちゃん、僕も後期ピンクフロイドが大好きなんです!」っていう話で大いに盛り上がってしまった。


そう、ピンクフロイドの全盛期はとするロジャー・ウォーターズ時代で、おそらく The Dark Side Of The Moon (邦題:狂気) 辺りが最高傑作とか言われているけれど、自分は前述の "対" と A Momentary Lapse of Reason (邦題:鬱) という、楽曲が非常に美しく洗練されている感じがデヴィッド・ギルモアの曲の方がしっくりくる。
The Division Bell に関しては、好きすぎてわざわざイギリスのイーリー大聖堂まで行っちゃったもんね。
これぞホントの聖地巡礼だね。


ピンクフロイド、自分がファンになってから来日してくれておらず、この点、本当に悲しい。
ライブ観るために海外まで行こうかと真剣に考えたくらい。


おっちゃんは自分のリクエストで、A Momentary Lapse of Reason の中の最高の一曲 Terminal Frost をかけてくれた。
ああ、なんて神曲なんだろう。

非常に美しいヒプノシス作の中ジャケの写真そのままのイメージが頭に浮かんでくる。


ヨーロッパの人は良いなぁ The Division Bell のコンサートとか気軽に行けたんだろうなぁ

 

モーター・シッチ・エアラインズ 搭乗レビュー

で、搭乗。

 

オデッサ国際空港だ。。。なんかハバロフスクの空港に造りが似てる。

ハバロの空港はもっと古めかしいけど。

旧ソ連は同じものを大量に発注してたんだっけ?それは空港のターミナルのデザインも該当するんだろうか?

 

良かった。。。キエフ行きのフライトはオンタイムだ。

 

出発まで待つ。WiFi 繋がるので、ネット見て時間潰す。

 


さて、実際どうだったか?

 


乗った機体、実際は Antonov An-140 ではなかったので、肩透かしくらった。

 


乗ったのは Antonov An-24 だった。

 

こっちは納品実績が共産圏とアフリカでもっと多かったので、それなりに安心の機体、 と思いたい所だけど、List of accidents and incidents involving the Antonov An-24 を読むと、ああ、結構事故ってるなぁっていう、心配になる内容だ。

でも生産された数が違う。

分母が違うから事故率は相対的に低そうだ。

 

結構タイヤの空気って緩いんだな。

 

この歩いていく感じが好き。

 

ここは写真撮るなだの、翼の下はいるな等、注意はなし。

割と緩い (タイヤの空気の緩さとは別の意味で) 感じ。

 

となりに小型機。

 

自分も乗ります。

 

過去に機体がボロさでびびったのは、インドネシアのデンパサールからラブハンバショ行きで乗ったメルパチ・ヌサンタラ航空だ。
なにせ、このプロペラ機、座席の二重になった窓の隙間に、大量の小さなゴキブリがわいていて、窓内と一つ前の座席の上部を行き来していたから。
プロペラ機自体もボロかったけれど、飛行機内で生活するゴキブリにただただゾゾゾっと身震いしたわ。
ちゃんと掃除してメンテしてくれって思ったもんだ。

 

はい、まさにこの時、機体は An-24 だって知った。

 

当たり前の事が書かれている。

 

この、モーター・シッチ・エアラインズの An-24 機内の内装については、トイレが一番特徴的だった。
基本的には洋式なんだけど、ふたがクッションになっていて、そのふたをすると椅子代わりになるみたい。

 

開けるとこうなる。
これがソビエト時代のスタンダードなんだろうか?
このクッションの上に座るシチュエーションがよくわからない。

 

読めない。

これを押すと、フラッシュされるのか、それとも CA が飛んできてしまうのか、どっちかわからなかったけれど、他にボタンがなかったので、これでフラッシュされると結論付ける。

 

他にもなにか書かれているんだけど、、、わからん。(ロシア語、ウクライナ語がわかる方は、私をせせら笑ってください)

 

洗面台も面白い。
蛇口がそもそも年季入っていて綺麗さは無いのだけど、それ以上に変わった形だった。

 


これでも一応自動で、手をかざすと水がジョロジョロ出てくる。

なんか、、、黒ずんでいて、、、汚いなぁ

出てくる水は普通だけど。

 

 

CA さん。

あ、そう、そういえば国内線なのに、飲み水がたっぷり出るわ、

 

サンドウィッチと紅茶という軽食が出たわ、、、

 

そして飴ちゃんまでもらえた。

 

キエフ ジュリャーヌィ国際空港到着。

 

バッゲージクレーム。普通に出てきます。

 

インフォメーションデスクが普通にあったので、バス停の場所を教えてもらう。

ちょっと離れていて、敷地の外へちょっと歩く必要があるってわかった。

 

空港の外、ここから路線バスで地下鉄駅がある所まで移動 (予定)

 

謎の飛行機展示

 

ここがバス停。

、、、しかし、来るはずのバス番のバスが全然来ないんだけど。。。

ちょっとしたアクシデントだが、ちょっとしたアドリブで切り抜ける (詳細は次回)

 

まとめ

全体的な感想としては、最終的に 地球の歩き方の掲示板でレスをいただいたとおり、プロペラ機なので乗り心地はそれなり、
フライト代はウクライナ航空よりよほど安いのに、飲み物、食べ物出てサービスだけみれば至れり尽くせりだ。
フライト時間の都合が良ければ積極的に利用したいエアーラインだ。

デメリットはチケットがウクライナ語のみでわかりにくいとか。。。かな。

 

それに、YouTube で離陸時の動画見つけた。

こんな悪条件でも勇ましく飛び立つ姿はなんとも心強いものだ (ちょっとウソ)

 

サムネイル用

 

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ウクライナ土産に最適なチョコレートをご紹介

リヴィウ・ハンドメイド・チョコレート オデッサ店 (店内にカフェも併設)

 

 

近況ですが、今回の年末年始は ”あの” 治安が最悪と言われるベネズエラへ行く事にしました。

いつもならすでに几帳面過ぎる旅程を作成して公開している頃ですが、ちょっと一箇所確定しない所があって、公開できずにいます。

確定したら別途公開します。

 12/18 04:01 追記:旅程確定、および公開しました!

 

 

さて、

今回はウクライナ土産に最適なチョコレート店:リヴィウ・ハンドメイド・チョコレート の事をメインで書きます。

 

リヴィウ・ハンドメイド・チョコレートはウクライナ各地にございます。

ウクライナへお越しの際は是非お立ち寄り下さい。

 

中央駅周辺からデリバソフスカヤ通りまで

まず、アルカーディアからトラムでオデッサ中央駅の駅前まで帰ってきた所から。

 


前回書いた内容と同じだけど、オデッサ中央駅駅前はとても賑やか。

 


自分が滞在しているデリバソフスカヤ通り (Vul Derybasivska) 周辺もにぎやかといえばにぎやかだけど、そっちはおしゃれで上品な感じ。

 


オデッサ中央駅の辺りはもっと路上駐車だらけだし、ゴミも多い。

 


ごみごみしていている中央駅の辺りの雰囲気は、こっちの方が庶民的なウクライナの様子って気がする。

 

この辺りからホテルがあるデリバソフスカヤ通りまで帰る必要があるわけだけど、行きと同じ番号のバスを見つける事が出来ず、若干困る。

道が一方通行だらけだから来た道と同じ道を同じバスが走っているわけじゃないみたい。

しばらく歩きながら探したけれど、見つからないので、人に聞くのも面倒で、復路は歩いて帰る事にした。

 

そもそもコンパスは持っているのだから真北へ進めばデリバソフスカヤ通りへ出るし、ロンプラの地図で見る限り、デリバソフスカヤ通りまで 1.5 キロくらいなので普通に歩けるじゃん。

 

そう思って北へ向かって歩く。

 

Staro-Bazarnyskvsr っていう、ちょっとした公園。

 

その公園の北側には Pl Hretska っていう広場がある。

グラウンドがあって、ちょうどフットサルやってた。

 

作家イヴァン・フランコー (Іван Франко) の像

いや、知らなかった人です。

後からネットで知りました。

 

Pl Hretska は真ん中にお店が広がるエリアがあって、広場の真ん中をずっと歩く事が出来ない。

 

リヴィウ・ハンドメイド・チョコレート

20 分くらいかね?駅前から北へ歩いて、見慣れた風景。

デリバソフスカヤ通りまで帰ってきた。

 

そんなデリバソフスカヤ通りにあるリヴィウ・ハンドメイドチョコレートのオデッサ店。

Lviv Handmade chocolate cafe は、カフェが併設されたチョコレート専門店だ。

ウクライナのお土産はこのチョコレートがおすすめ。

 


今回の旅へ出る前の話だけど、人気があると思われるロシア人のユーチューバー:あしあ さんの動画に、友人のウクライナ人:ナスチャ さんが出てきて、ウクライナのお土産としてチョコレートを披露していたので、そこで知った。
ってかね、二人とも日本語上手いね。


あしあ は YouTube でロシア語講座をやっているので、今年は極東ロシアと今回のウクライナとトルクメニスタンと、ロシア語圏へ立て続けに行く事が決まったときから見始めた。英語通じないって言うし。
あしあは、ロシア語以外にもロシアの文化とか、ロシア人からみた日本の事とか動画で紹介していて、とても為になる。

お金かからないしね。

この動画で興味深いのはウクライナとロシアの国と個人の関係性の違いの所。

ああ、やっぱりそうだよねって思った。
ってか、あしあは、もはや日本におけるロシア親善大使だろー

 

で、せっかくウクライナへ来たのだから、是非そのチョコレートを買いたいと思ってた。
ネットでウクライナのチョコレートについて調べたらすぐ出てきた。
リヴィウ・ハンドメイド・チョコレート Lviv Handmade Chocolate だ。

 


ちなみに、このお店、ウクライナ語では、"Львівська Майстерня Шоколаду" という名前らしいんだけど、なんか英語と随分文字が違うような気がしたので、単語を一つずつ調べてみた。


Львівська が、"リヴィウ"
Майстерня が、"ワークショップ"
Шоколаду が、"チョコレート"

 

というわけで、
ウクライナ語は "リヴィウ"・ワークショップ・チョコレート" となっており、英語の Lviv Handmade Chocolate とほぼ同じ意味とわかって一人納得。

 

このリヴィウ・ハンドメイド・チョコレートは、主にウクライナ国内に店があって、例えばリヴィウは当然として、首都のキエフにもあるし、国外ならアゼルバイジャンのバクーにもあるみたい。

アゼルバイジャンはイスラムだから、サウジアラビアみたいに甘党が多そう。

 

ここの肝心のチョコレートはこんな風に沢山種類があって、量り売りとかじゃなくて、大体が一個いくら〜みたいにバラで売ってる。

チョコレートを買うと上の方で紹介した動画みたいに格子状の敷居がついた箱等に入れてテイクアウト出来る。

 

自分も 10 個程、買ってみた。。。っていうのは嘘。(えーなにそれ?)

 

お土産として、すごくすごくすごく 買いたかったのは本当なんだけど、今回の旅はこれからチェルノブイリに行くし、その後はトルクメニスタンへ行くわけで、ずっと溶けずに日本までもって帰る自信がまったくなかったから、泣く泣く諦めたのだ。

トルクメニスタンは灼熱の暑さだしさ。

それに、こんな高級なチョコレートは防腐剤なんて使っていなさそうだから、日持ちすると思えない。

2 個ほどバラで買って食べてみただけ。

でも、すげー美味しかった。

 

ま、このチョコレート屋は前述の通りカフェが二階や軒先にあって、そこでもチョコレートを食べる事が出来るので、"店内ご利用"  って事でよしとする。

 

そもそも、もうあんま時間無いし。

この後、またキエフへフライトで戻るわけで。

 

そんなわけで「店内ご利用のお客様」になった自分でした。

ここが二階の様子。

 

オーダーしたもの。

 

チョコレートケーキと溶けたチョコレートの飲み物。

チョコレートとチョコレートっていう甘党以外は地獄のようなメニューだ。

実は、溶けたチョコレートの飲み物は、メニューに Melted chocolate って書いてあったので、勝手にああ、これはココアだなぁって思い込んで頼んだものだ。

 

なので、チョコレートが溶けたものが普通に出てきて普通にビックリ。

さらに言えば、この溶けたチョコレートは飲み物というより、食べ物に近い気がした。

スプーンですくって食べるし。

そういえば、この組み合わせで店員さんに頼んだ時、飲み物は?って聞かれた理由がやっとわかったわ。

「え?ちょっと意味わかんないです」とか言わなきゃよかった。

 

気を利かせたのか、お冷が付いてきたのがありがたい。

これが無かったら、チョコレート食べながらチョコレートケーキを食べる羽目になっていたから、自分ですら辛かったかも。

 

お水が甘過ぎるチョコレートを緩和していて、どうにかこのお店のチョコレートのコクを味わうことが出来た。

しっかりカカオの味がして上品な感じだ。

 

ロシアのチョコレートといえば、鳥のミルク (птичье молоко / птaшине молоко) っていう有名なチョコレートがある。

鳥は哺乳類じゃないからミルクなんて無いので、"鳥のミルク" っていうのはこの世には存在しないものの例えで、それくらい超絶に美味しいっていう意味らしい。

だけど、実際、極東ロシアで鳥のミルク (板チョコタイプとスフレをコーティングしたタイプ) を買ってきて日本で食べた感じ、あまり美味しくなかった。

柑橘系の味がチョコにブレンドされていて、それが自分としては微妙だった。

日本のコンビニで売ってる森永とかの板チョコの方がずっと美味しいじゃんって思う。

 

でも、ロシア界隈では、鳥のミルクを美味しく食べられているのだから、きっと日本とは味覚が違うんだって思っていたけれど、ここのリヴィウ・ハンドメイド・チョコレートに関しては日本人の自分でも違和感無く美味しいと思えたので、味覚もそんなに違わないのかなって改めて思ったりもした。

じゃあ、ロシア人やウクライナ人が鳥のミルクとリヴィウ・ハンドメイド・チョコレートのチョコを食べ比べたら、どっちが美味しいと思えるんだろう?っていう新たな疑問も沸いてくる。

 

最後に、チョコレートケーキと溶けたチョコレートの飲み物のレシート。

あんなに高級そうなお菓子なのに 74 UAH という驚きの安さ。

300 円くらいじゃん。

マジで物価安い。

 

ウクライナ、行き時だろー

 

 

次回はモーター・シッチ・エアラインズの紹介です。

 

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夏の終りのオデッサ:アルカーディア

アルカーディア (Arcadia / Аркадія) より。

 

前回の続き。
ウクライナ オデッサのデリバソフスカヤ通りからパサージュを抜けて Soborna 広場に来た後。
これからビーチリゾートのアルカーディア (Arcadia / Аркадія) 、(もしくは "アルカディア" と呼ぶ) へ観光に行く。

とはいえ、海で泳ぐわけじゃなく、海沿いの町並みを軽く歩いてみる程度。

なんたって、もう泳ぐには寒過ぎる。

 

ヨーロッパのビーチリゾートについて

ヨーロッパの夏のビーチリゾートと言えば、イギリスのブライトンスペインのサン・セバスティアンマラガ (エル・パロ)マルベーリャ等に行った事がある。トルコのフェティエもだな。
冬だと、フランスのニースバルセロナ等か。

 

今年 7 月に行ったウラジオストクでもそれなりにビーチで海水浴を楽しんでいる人達はいたな。
いずれにしても、ヨーロッパのビーチリゾートって確かエル・パロ・ビーチの時に書いたんだけど、特に海水浴やダイビングはあまりわざわざ行くって感じじゃないな。
ヨーロッパ人が自分の近場の海水浴場で束の間の夏を楽しむための場所っていう気がする。
日本人なら、なにか別の事のついでとかならまだしも、海水浴のために日本からヨーロッパへ行くとかはあんまり気乗りしない。
あの辺なら紅海へ行った方が良い。

もっとも日本からなら東南アジアやオセアニアで十分だし。

 

ヨーロッパは、まず大西洋だと水が冷たい。
サン・セバスティアンなんて、景色は素晴らしいけれど、雨が多いから真夏に雨が降ると寒いし水も冷たいしで、あまり良い事ない。


地中海は水は綺麗だけど、なんか魚が少ないな。
魚がいてもあまりトロピカルじゃないから、ダイビングとか向いてない。


ビーチもアジアン・リゾートとかに比べれば見劣りする。
ニースのビーチが岩とかさ。

 

ただ、海を眺める街の散策なんかは割りと好きだ。

街の優雅な雰囲気と海のコントラストが綺麗で、観光客が賑わってる雰囲気なんかも楽しめたりするから。

 

そんなヨーロッパのビーチリゾートについて雑感を書いた所で、オデッサのビーチリゾート:アルカーディアについて書いていく。

アルカーディアはさっき書いたとおり、オデッサ近郊のビーチリゾートなんだけれど、いくつかあるオデッサのビーチの中では一番有名な所だ。
これも Lonely Planet 情報だけど、他にも、Otrada Beach Lanzheron Beach 等のビーチがあるみたい。

 

アルカーディアへのアクセス

Soborna 広場の前からバスに乗る。

 

オデッサのバスおよびトロリーバスの路線図。

今となっては、どこがどこだかわからなくなっちゃった。

一応、これが路線図のリンク

こっちはトラム

なんかリンク先見てて思ったのは、「余計にわかりにくくなった」っていうことw

だめだこりゃ

 


行き先はオデッサ中央駅前まで。

 

オデッサ中央駅前行きバスのバス番号はホテルで聞いて、実際それに乗って行ったんだけど、番号失念。ごめんなさい。
自分と同様にホテルの人に聞いてみてください。

 

中央駅周辺。

かなりにぎやか。

後で分かった事だけど、中央駅周辺はデリバソフスカヤ通り (Vul Derybasivska) 周辺よりもローカル色が強くてもっとごちゃごちゃ。

多分、デリバソフスカヤ通りがツーリスティックって事かも。 

 


で、さらに、このオデッサ中央駅前からはトラム #5 でアルカーディアへ行ける。
あと、どうやら、バスでも行けるみたい。その場合のバスは #195 か #168 らしい。


タクシーでも行けるって。
金額は Lonely Planet によれば、タクシーだと 40UAH らしい。

 

アルカーディア行きトラムからの眺め。

結構スピードでてるよ

車が追い越せない。

 

最後部は眺めが良い。

子供みたいに窓の外の風景を食い入るように眺める。

 

あっという間にアルカーディア到着。20 分くらいだったかな?

 

なかなか味がある車体だ。

トラムはここで折り返しになるので分かりやすい。

 

アルカーディア

律儀というべきか、アルカーディアのリゾートエリアへのゲートがある。

アルカーディアって書いてあるね。

っていうか、気付いたんだけど、これ、ウクライナ語じゃなくてロシア語だ。

ウクライナ語なら、"Аркадія" になるので "и" の文字が違う。 

 

くぐると、レストランとアミューズメントパークがある。

 

バーガーキング!のパチモノじゃねーか。
 

天井一面傘の飾り。

綺麗だな〜一本失敬するかね?(全然届かない高さだけどね)

たぶん、飾り用の傘で実用性は無いんじゃないかな。

 

ローラーコースター。

夏の終りのせいか賑わっていなかった。

寂しげ。

 

ヨーロッパはこんな風に海近くに遊園地造りたがるねぇ

イギリスのブライトン (Brighton)、アメリカ:ロサンゼルスのサンタモニカ (Santa Monica) とか。

 

いずれにしても、ここ、どの遊具も人いないからね!

きっと、もう寒いせい!

 

通りの突き当たりまで来た。

ここはイビサ (Ibiza) っていうナイトクラブで、アルカーディアでもっともアッパーで高級な所。

 

その裏手がもう海岸。

ってか、おい!夏の終りというか、冬の日本海みたいな荒れ模様だ。

演歌が似合う海だ!

寒いし!

雨降ってるし!

それなりに人いるし!

 

・・・それでもビーチへ降りてみる。

 

雨降ってて、風が結構強風で冷たい!

 

お、おねーさんたち、なんでへーきなの!?

さむくないの?

「にえっとにえっと」って言ってました (嘘)

 

9 月も半ばともなると、もうあんま泳ぐ人もいないみたいね。

水着で頑張ってる人もいるけど、服着たまま海眺めてるだけの人も多いよ

 

うわ〜こんな海で泳ぐのは、結構な罰ゲームだ。

 

もう一ヶ月早く来るべきだな。

 

ま、水着で頑張ってる人もいるにはいる。

夏の終りも夏の余韻が少しでも残っているのなら、それを搾り取る。

そんなヨーロッパの人の気質を感じた。

彼らは長い冬のせいで、夏のありがたさを我々より感じてるんだ。

 

クラブ イビサにもちょっと足を踏み入れる。

真夏なら、ここのベンチにみんな寝転んで日光浴を楽しむんだろうね。

別の人のブログでこのクラブの真夏の様子を見たよ。

日本円で 1000 円くらいでベンチ借りてたなぁ

まぁ、この時期じゃあ誰もベンチ借りとらんと。

 

イビサからちょっと海岸を北へ歩いてみる。

 

海岸線沿いはクラブやレストランが立ち並んでる。

 

Bono Beach Club。イビザに負けてない店構えだね。

真夏ならあそこもビーチも大賑わいなんだろうなぁ

 

海岸線はごちゃごちゃ

この辺で雨が激しくなってしまい、仕方なく屋根がある所で退避。

 

今度はイビサよりも南へ行ってみる。

あー寒い!

ホテルに防寒着置いてきたのは失敗だった。。。

と、思っていたらちょっと晴れてきたのだ。

 

あ、ネコだ。

さっきまで雨降ってたのに、ここにきてちょっと晴れてきて良い感じ。

海辺とネコ。岩合光昭みたいな画になったよー

 

人が入ってこれないビミョーな隙間で日向ぼっこするネコ。

 

こんなところ。

縁側とでもいいましょうか。

 

お世辞にもあまり綺麗な海じゃないね。

そういえばチェルノブイリ原発周辺の河川も黒海に流れ込んでるよなぁ

当時はこの辺の海も汚染あったのかなぁ

 

ゴミがしっかりゴミ捨て場に。

 

この写真からいろいろわかる。

まず、この時期まだ海岸で夜な夜な酒盛りが盛んに行われてる。

瓶をしっかり片付ける人がいる。

タクシーは 電話番号:3000 で呼べる。

 

イビサの南側の砂浜もやはり人は少ない。

 

防波堤にはわずかに人。

 

うっわー

泳いでるよ〜

冷たいでしょ?

でも背中日焼けしてるw

 

よくもまぁこんな冷たそうな海に入っていけるなぁって思ったけれど、ホテルに帰ってアルカーディアでまだ泳いでいる人がいたって話したら、まだ 9 月なんだから、水温も 16 度位あるし全然大丈夫だよって言ってた。。。

けど、これ絶対 10 度以下じゃないかね?

 

カモメだ。

魚いるのかな。

 

防波堤の先まで行ってみた。

 

ざっぱーーーーん

ざっぱーーーーん

ってひっきりなしに荒波が打ち付ける

この後、打ち寄せた水で靴が水浸しに。

 

何気ない風景なんだけど、日が差してる僕にとって貴重な一枚。

 

あ、この写真も日が出てる。

奥の空は厚い雲で覆われているけど。

 

さっきのネコ。

あの後、完全にスリープモードへ移行してた模様。

 

イビサの前の通り。

あの奥のリゾート用マンションが気になる。

一月いくらなんだ?そもそも賃貸?どんな層の住民?

 

おそらくこの辺がメイン通りと思われる。

 

人気のクラブ:イビサも夏の終りのせいか、昼間のせいか、寒いせいか、閑散としてる。

 

イビサの近くでイタリアン食べた。

寒さ対策で椅子ごとに毛布が置かれてる親切さ。

 

えっと、トマトソースのスパゲティとバナナジュース!

リゾート価格で高めなんだろうけど、通貨安でむしろ安さすら感じる。

あ、でも、食い足りない!

ピザも追加で頼むべきだったか!

 

ちなみにこの辺のお店のランクは、イビサの前が一番高くて、ゲートに向かって段々グレードが下がっていく。

ゲートくくってすぐらへんにある店がファーストフード系なので安く済ませたいのなら、そっちの方へ。

 

さて、帰ろう。

ゲートの反対側はオデッサって書いてあったのね。

 

さっきのトラム乗り場。

プラットフォームが異様に長い不思議。

全部オデッサ中央駅行きのみのはずなのに。

真夏はここも混むのかもなぁ

 

帰りのトラム。

名残惜しいが実際やる事もあんまり無いので、帰るのにはちょうどいい頃合いだよ。

 

次回はチョコレートショップの紹介、

その次がモーター・シッチ・エアラインズの紹介、

と短めの記事を短いスパンで投稿する予定。

 

サムネイル対策

 

 

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オデッサ一番の見所はオデッサ港!

オデッサ港 (The Odessa Port/Одеський морський торговельний порт)

 

オデッサという街は港湾都市で、観光の見所は、まず、夏の間に海水浴が楽しめるリゾートタウンが郊外にある。

それ以外だと、ポチョムキンの階段とオペラ・バレエ劇場なんかが主な見所と思われる。

そこで自分はこのオデッサ港押し。


オデッサ港は、別に観光スポットとして特筆するべきような所じゃないけれど、オデッサが港湾都市である事が一番感じられる場所だ。

工場萌えの方にもおすすめ。

 

それと、オデッサって街の名前が格好良くて気に入ってる。
個人的には気に入った街名だと、わざわざ行ってみたくなる。
モロッコのカサブランカ とか、タンザニアのダルエスサラーム とかも街名の響きが好きでわざわざ一泊立ち寄ったし。
もっとも、もともとオデッサは人名が由来らしいし、ダルエスサラームの平和の家って意味って Wikipedia には書いてあるから、名前の響きが格好いいって言うのは、"日本人的に" って事だね。
カサブランカも白い家だし。。。
あれ?
"家" っていうのは街の名前の使われがちなのかねぇ

 

朝食を取りに行く

前略、オデッサに来たところから。
キエフ - オデッサ間フライトは大体一時間くらい。
ホテルはオデッサの多分一番の目抜き通り:デリバソフスカヤ通り (Vul Derybasivska) にある Royal Street Hotel (Отель Роял Стрит)


部屋はちょっとおどろく位狭かったけれど、立地は最高。
外が賑やかなのがいいね。
かといって、カオサン通りみたいな爆音が聞こえてくるわけでもないし。

 

体調はオデッサに着いた時点で歩ける位には回復していたので、スタッフに水売ってそうな店を適当に教えてもらって「水を買う」という必要最低限の買い物をした。(晩御飯を食べるほどには回復していないw)


その後は何もせず、する気のもなれず、二、三日間ぶり位のまともな就寝。
日本出てからずっとまともに寝ていなかったのでさすがに眠りは深い。

寝起きも悪い。

 

翌朝このホテルの前。
今回の宿泊は朝食付きなので、すぐに朝食を食べに行く。

 


ホテル内にレストランは無くて、目抜き通り挟んで向こう側にあるカフェでコーヒー飲みながら朝食が食べられる仕組み。

 

このカフェ。

 

店内は割りと洒落てる。いや、「割と」っていう言い方は失礼か。

"店内は洒落てる"。


朝食用メニューはなんかいろいろ選択肢はあった。

 


久しぶりのまともなご飯なので、なるべくしっかりしたものを食べたいと思ってはいた。

とりあえずのコーヒー。

 


そして、散々悩んだけど、どれも一長一短で結局こんなキッシュになった。
食い足りないのだけど、よしとした。

 

向かいにマクドナルドもあったけれど、さすがにもう一回朝食を取り直すまでしなくもいいか。
昼食はどっかでまともに食べれればいいな。

 

ホテルの前辺り。

朝が早すぎるせいか、人影まばら。

 

昨夜、水を買ったスーパーが入っている建物。

ホテルのまん前。

 

街歩きプラン

その後はチェックアウトだけ済ませて早速街歩きだ。


なにせ、後付けでわざわざ強引にねじ込んだオデッサ行きだ。
観光は今日の夕方までだけど、観光を生真面目にしっかりやって、それなりの重みを持たせる事でこのネジ込みの対価とするのだー
って、僕は決め顔でそう言った。

ちょっと空模様が怪しいけれど、気温はキエフに比べれば暖かい。

 

そいで、オデッサの街歩きについてもキエフ同様に効率重視でプランニングした。
オデッサで駆け巡ったルートを書き上げると、


デリバソフスカヤ通り -> オペラ・バレエ劇場 -> プリモスキー通り -> ポチョムキンの階段 -> オデッサ港 -> パサージュ -> アルカーディア地区 -> デリバソフスカヤ通り -> 空港へ


となる。
大体問題なく周れている。

ついでに、アルカーディア地区から帰ってきた後、空港へ出発する前に Lviv Chocolate Factory でくつろぐ時間もあった。


オデッサは、もう一日あればカタコンベ・ツアーへ参加していたかもしれない。

オデッサ郊外にはカタコンベ (訳すと地下墓地かね?) があってツアーでそこを訪問する事が出来るらしい。

個人で言ったブログの記事も読んだけれど、ツアーが基本っぽい。
今回は時間が無さ過ぎるためにスルーしたけれど、オデッサで時間を持て余すようなら言ってみたいスポットの一つだ。

 

オペラ・バレエ劇場

じゃ、まずはデリバソフスカヤ通りから北東へ向かって、オペラ・バレエ劇場 (Odessa National Academic Opera and Ballet Theater / Одеський національний академічний театр опери та балету) へ。

 

でん!一応、ここがオデッサの見所の一つなので、大抵の観光客はオペラを見なくても、ここへ来る。

 

朝早いし、雨降ってるのに、団体さんいたからね!

 

この劇場は 1880 年に造られた後、2007 年にリニューアルオープンしたものらしいのだけれど、外観はなかなか立派だ。
でも、まあこの手の劇場は至るところで見てきたので、そんなに大きな感動はないけれど。

 


観光に要する時間が少ないのがいい。
ペチェールスカ大修道院とはえらい違い。

 

この時は朝早すぎたので中に入れなかったけれど、後でもう一回前を通ったら、入り口部分でチケットを売ってた。

 

なので、時間は前後するんだけど、後でもう一回来た時の写真。

 

座席に番号が振られていて、それを元にチケット買う。

今日は 18:30 からバイオリンのコンサートですか。

 

イアン・ギラン (Ian Gillan) だ!

こんな小奇麗な劇場でコンサートやるんだ。。。

キエフでもどっかで同じようなイアン・ギランのコンサート告知を見たから、ウクライナを何箇所か周ってるんだね。

 

イアン・ギラン自体、大した興味もないけれど、ディープ・パープル (Deep Purple) 時代の曲を歌うらしいので、それはちょっと興味ある。

何年もまえ、サマーソニックを見に行った時、たまたま真昼間からディープ・パープルが出てて観る機会があった。

真昼間から出るって事は中堅くらいな立ち位置だし、サマソニのコンセプトからしても随分チャレンジャーな感じだったと記憶してる。

 

周りの若い人達、ディープ・パープルって誰?って感じのジェネレーション・ギャップがあったし、アウェイな状態だった。

その時も Smoke on the Water とか、Black Night なんかを惜しげなく披露していた。

もう、歳も歳だから全然高い音域とか歌えてなかったし、Highway Star なんて無謀な曲すら歌っていて、やばいくらい声出てなかった。

それから何年も経って未だに活動しているのがちょっと驚き。

 

ところで、写真ぶれちゃったよ。。。

 

側面。

花と噴水で優雅な感じ。

 

この辺でどっかのツアー会社の人がやってきて、電話を渡されたのでてみると、英語がしゃべれるスタッフが出た。

なんか、シティ観光に参加しないかと勧誘してきたけれど、この街でツアーに時間をかけて参加する必要性も特に感じないし、アルカーディアに行けなくなってしまうのでお断りした。

 

プリモスキー通り

前述のオペラ・バレエ劇場からちょっと北へ行くと、プリモスキー通り (Primorsky Boulevard/Приморский бульвар) っていう通りがある。
大体このオペラ・バレエ劇場からポチョムキンの階段辺りまで沿岸部が散歩道になっていて、それをこう呼んでるみたい。

 

通りの始まりにある文豪プーシキンの銅像。

奥の建物は市庁舎。

アレクサンドル・プーシキン (Александр Сергеевич Пушкин) はロシア文学の巨匠だ。

面白と思ったのは、ウクライナってあれだけロシアと反目しているのに、こういう偉人のスタチューが残ってるんだなって点。

 


彫刻とかベンチとかが置かれて洒落た並木道。

ちょっと雰囲気がいい感じ。

 

あのガラス張りはなんだ?

 

おや?

遺跡がある。ロンプラには紹介されていなかったけれども。。。

調べてみたら、紀元前 5-4 世紀のギリシャ時代の遺跡らしい。

 

あ、また出た。

キエフの聖ミハイル 黄金ドーム修道院でも見かけた謎の植物の実。

 

中身、栗みたいで食べれそうだけど、誰も見向きもしないという。。。食えないのかなぁ

 

ポチョムキンの階段の前の広場まで来た。

奥に観光用のバスが見える。さっきの勧誘に乗ったら、あれで観光してたのかもね。

 

Duc de Richelieu Statue

この Duc de Richelieu なる人物はローマ時代の始めてのオデッサの統治者との事。

 

観光案内所があった。

フリーのオデッサの地図はあるかな?って感じで入ってみたけれど、地図が無いどころか、まだ開いてないんだから、入ってくるな!って怒られてしまう。

 

ポチョムキンの階段

いよいよ、オデッサで一番有名な観光スポット ポチョムキンの階段 (Potemkin Stairs / Потьомкінські сходи) だ。
ここは、戦艦ポチョムキンっていう映画の中で大虐殺が起こる衝撃の場所らしい。

 

そして非常に残念な状況を目の当たりにした。

 

???あれ?

ここってポチョムキンの階段?

一瞬本気で分からなくなり、ロンプラの地図と周りに見えるもので確認しちゃった。

 

間違いない、ここがポチョムキンの階段だ。

今年の 5 月から工事中らしい。

一体何にそんな時間をかけてるんだか。。。

 

なんたる無残な姿でしょう。

まぁ仕方ないね。

 

犬、駆け上がる!

 

一応、プレートが見えるように残ってる。観光客への配慮かね。

 

あーあ、なんて見苦しい柵なんだ。

 

もうちょっとさ、観光客向け配慮した工事でもよくね?

だって、階段の基礎部分でしょ?

柵で覆う必要性薄いっしょ?

とか、思ってました。

 

降りてから見上げると、上から見下ろした時より長さがあるって感じた。

 

オデッサ港

階段を全部降りきって、結構車の通りが激しい道を渡り、オデッサ港 (The Odessa Port/Одеський морський торговельний порт) へやってきた。

 

普通にターミナルだよ。

 

後ろ振り返ると、ポチョムキンの階段が綺麗に見渡せる。

意外と工事してる部分って広くないんだな。

この階段、錯視を利用しているせいか、やっぱりこっち側から眺めると上から眺めるより大きく見える。

上から見た時は階段の半分くらいは工事中のように見えてたし。

 

ここは高架になっていて、真下は貨物用線路。

なぜ鳩は特定の車両の屋根にのみいるんでしょ?

この車両だけ穀物でも入ってるのかね。

 

こうやって貨物列車が並んでいるのって哀愁漂ってる。

 

石運んでるね。

あ、これがジオン公国へ送られる鉱物資源ですか。

 

ってか、あの話、オデッサが鉱物資源の拠点みたいに描かれているけれど、現実世界のこの辺なら、カスピ海沿岸の石油や天然ガスが取り合いになるでしょう。

モデルになり得るのは、アゼルバイジャンのバクーとかじゃないかなぁって思うんだよ

 

I Love Odesa

オデッサが港湾都市である事が一番感じられる場所と思う。

 

オデッサ港はターミナルである一方で貨物の運搬も盛んなようだ。

 

脚の真下には線路と貨物列車が。

かっこいい!

 

港全体、こんなクレーンだらけだった。

 

クレーン後ろの瓦礫が「圧倒的じゃないか!」

 

ターミナルの先端近くにはホテルがあるんだけど、これが廃墟。

隣のターミナルの建物のみ利用してる風だった。

僕も勝手にトイレ借りたし。

 

ターミナルの先端には教会もある。

 

人出てきたし。

航海の無事でも祈るんでしょうか。

僕も中に入ってみたら、歩けるスペースがめっちゃ狭かった。

写真は撮るほどでもなかったな。

 

さらに先にはヨット等小型船舶の乗り場になってた。

 

さっきの教会が真ん中にあって、その左右にその小型船舶用ターミナルが二本延びてる。

 

階段のスロープを滑り降りて遊ぶ少女。

 

はるばるオデッサまで来た事に感激していた。

この子は突然現れて言いました。

「μ's は何も残さなかったみたいですよ」って。(大嘘)

 

さて、戻りますか。

クレーンの奥の高いホテルいい感じ。

「わたし、気になります!」

 

大型船舶。

ここは黒海の奥だから、前に行ったトルコのイスタンブール近辺のボスポラス海峡 を経て、地中海へ出ていくのを想像すると、なんだか胸熱です。

 

曇り空のせいでクレーンが映えるわ。

なんか寒々とした感じに仕上がるし。

 

カモメ飛んでた。

 

荒廃した工業地帯を儚げに飛ぶカモメ。

無駄に切ない。

 

中型の船が出航するところ。

どこへ行く?

 

港に着いた時に来た高架の真下あたり。

用途がよくわからない工業製品が並んでる。

これらもここからどこかへ行くのかな?

それともどっかからここへ着いたのかな?

 

港を出てポチョムキンの階段の方へ戻るためには、一旦高架の上まで登らざるをえなかった。

なぜなら線路は歩いて渡れなかったから。

 

でっかい車だなー

おおかた、結婚式の撮影だろ。

 

デリバソフスカヤ通りへ

オデッサ港からもう一回ポチョムキンの階段を登って、デリバソフスカヤ通り方面へ向かって歩く。

 

ポチョムキンの階段の裏手辺り。

デリバソフスカヤ通り方面へ戻っていく。

 

この辺も栄えてるね。
 

これはスターウォーズのキャラだな。

多分、ハリソン・フォードと一緒に行動してたやつだ。

 

ヨーダと一緒にアバターのイラストも看板に書かれてる。

コスプレ屋かグッズ屋かフィギュア屋か。

本屋?

わざわざ地下へ降りて確認する気にはなれなかった。

 


あ、ストリップ劇場だ。

この前キューバへ行った時、カナダのトロントに立ち寄ったわけだけど、ストリップ劇場行ってみたよ。

値段が高いくせに、良さがイマイチわからなかった。

裸で踊ってるのはわかるけれど、だからなに?って感じになった。

 

スーパーマーケットだ。

wi-fi 完備とか嘘だろ。

 

そのスーパーが入った建物は割りと年季が入ってて味がある。

 

落書きだらけ!

 

よくわからない落書きだらけのドア。

 

デリバソフスカヤ通り

やっとデリバソフスカヤ通りに戻ってきた。

 


前から書いている通り、滞在しているホテルの前の繁華街。


午前は全然人がいねぇと思ってたけれど、昼になったら、結構人通り賑やかになったし、昨夜ここへ着いた時間 (夜) や、オデッサから再びキエフへ戻るために空港へ行く夕方の時間になると、より賑やかになっていたので、基本的にこの通りは日中より夜の方が賑やかさは感じられるはずだ。

 

あ、やっぱりにぎやか!

 

乗馬だ!なんてまあツーリスティック!

 

通り沿いにある City Garden。

 

結構な賑わい。

 

やっぱり、お昼くらいにならないと、人は出歩かないみたいね。

 

ここで一旦ホテルに戻って防寒着を置いてく。

結構暖かくなってきたから。

 

パサージュ

 

デリバソフスカヤ通りを滞在してたホテルを通り越して西へ行くと、Passazh Hotel っていうホテルが入った建物があるんだけど、その建物内はパサージュになってる。

 

パサージュ (Passage / Пассаж) とは屋根付きの商店街。

パリのパサージュとニュアンスはほぼ一緒かと。

 

ランジェリー屋発見。

閉まってた。

 

パリのも同じだけど、なんかパサージュって活気がないね。

建物の立派さを持て余してる感じ。

全時代的って事かね。

 

床屋のマークが不思議と庶民的。

パサージュは庶民的なのか、高級志向なのか、よくわからない方向性。

 

ここのパサージュは L 字型になっていて、デリバソフスカヤ通りから入って vul Preobrazhenska まで抜ける事が出来る。

 

ここは通りを渡ったところにある Soborna 広場。

写真に見えるのがパサージュがある Passazh Hotel の全景って事になる。

建物の一階部分にパサージュの入り口も見える。

 

Soborna 広場 には Preobrazhensky Cathedral っていう大きい大聖堂がある。

メンドイので入ってない。

 

そして、この広場の前あたりからバスでオデッサ駅前まで行って、さらにかの有名なトラムでアルカーディアっていうリゾートタウンへ行く事が出来る。

 

次回はそのアルカーディアへ行った事について書く予定。

 

例のサムネイル対策

 

 

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キエフ弾丸観光 後半 - たかが5時間でここまで周れる!

アンドレイ教会 (St. Andrew's Church / Андріївська церква)

 

近況から。

11/2〜11/6 で台湾へ小旅行に行った。

太魯閣渓谷と高美湿地、十三層遺跡が凄いよかった。

初日に一眼レフカメラ無くしたりと散々でしたが、台湾はやっぱり人がいいのか皆さん英語もあまり出来ないのに親身になって助けてくれ、なんと最終日に自分の元に返ってきた。(そのため、台中周辺や日月潭はスマホのみで写真撮ってた)

 

また、先週 15 日午前 1 頃、急激に体調が悪化して下痢と嘔吐が泊まらなくなってしまい、微熱と倦怠感等やばめの症状がきてしまい、先週前半はずっと苦しんでた。

火曜日は会社休んで病院へ。病院でもまともに座っていられず。

でも、医者は悪いもんは全部吐いたんだから、あとは火曜日中は絶食してポカリ飲んで寝てろって。

検査はせいぜいインフルの検査して陰性だったくらい。ノロとか検査しないのはなぜだ〜

それでも、週の後半には大分回復したんだけど、そもそもなんであんなひどい状態になったのかわからず、今でも不安。

全快したら年末年始の旅に向けて体力作りをはじめたいわ。

 

 

 

で、本題。

はい、キエフ観光後半を書いていく。
聖ミハイル 黄金ドーム修道院 St. Michael's Golden-Domed Monastery / Михайлівський золотоверхий монастир の続きからだ。

キエフ観光 後半概要

 

前回の "キエフ観光最短ルート考察" で書いた通りだけど、以下のような順路なので、
独立広場 -> ソフィア大聖堂 -> 聖ミハイル 黄金ドーム修道院 -> アンドレイ坂 -> アンドレイ教会 -> チェルノブイリ博物館 -> ペチェールスカ大修道院 -> ボルィースピリ国際空港

アンドレイ坂 -> アンドレイ教会 -> チェルノブイリ博物館 -> ペチェールスカ大修道院 -> ボルィースピリ国際空港

を後半ではめぐることになる。

 


聖ミハイル 黄金ドーム修道院の隣の隣の立派な建物は外務省らしい。

立派な建物だね。


ここの左の道を奥へ突っ切って進みどんどん北上していくと、アンドレイ坂、アンドレイ教会 へたどり着けるはず。


前回の通り、独立広場についたのが 午前 11 時頃。
で、19:35 の国内線でオデッサへ行く。なので時間に追われていて、どうしようもない。
観光しながら時間に焦るとか、なんて悲しい観光だろうかって思ったり。

 

いずれにしてもオデッサ行きをねじ込んだ自分が悪いのだが。
それに、もし、一旦時間を巻き戻せたとして、一旦オデッサに行く旅程を止めるか?と自分に問いかけてみると、現時点でも考えに変りはない。
この観光時間で自分の思考パターンでは、この忙しさは必然なのだぁとかいってみたり。

 

アンドレイ坂とアンドレイ教会


アンドレイ坂だ。(Andriyivski Uzviz)

 

この坂はソフィア大聖堂、聖ミハイル 黄金ドーム修道院のある辺りが丘の上の Upper Town で、チェルノブイリ博物館なんかがある Podil 地区へ下りていく道だ。

お土産屋の屋台が軒を連ねていて、とてもツーリスティックな所のようだけど、なんだか観光客が少なくて "閑散としている" と言えなくもない。


これも政情不安な事が要因なんだろうか?

ここらへんのお土産屋にはハードロックカフェのチェルノブイリ店と書かれたブラックユーモアな T シャツ売ってる。

僕はここでは買わなかったけど、後日チェルノブイリ制限区域内でガイドから一枚買った。

 

鳩が車に轢き殺されてる。
運が悪いと言われればそれまでだけど、なんと言ってもこの辺のドライバーはみんな飛ばすから、事故率がやはり高いのかもしれない。

 

そういえばこのアンドレイ坂からちょっと西の方に戻るとウクライナ国立歴史博物館 (National Museum of the History of Ukraine / Національний музей історії України) っていう博物館がある。

その博物館自体は興味沸かないので行かなかったんだけど、その周辺には、Peizazhna Alley、もしくは Landscape Alley と呼ばれる緑が多い散歩道があって沢山のオブジェが置いてある。

 

そう、まるでバルセロナのグエル公園みたいな感じ。 

そこには壁面に Constantine Skretutsky っていう彫刻家作、ネコが「がああああああぁ」って口を開けた壁画彫刻があってそれを観たかった。

が、場所的にちょっと引き返す感じになる事と、時間が無いという理由でスルー。

勿体無いな。


ちょっと先に進むと、アンドレイ教会 (St. Andrew's Church / Андріївська церква) が見えてくる。

これは早速入らないと (<-- こういう義務感で観光する姿勢がイタダケナイ)

 

が、

 

なんと、アンドレイ教会は修繕中で閉館してた!

残念だ!

でも、心では「ラッキー!時間節約出来た!」と思ってしまっていることが悲しい。

 

工事現場作業者。

なんとなく、共産主義国家の労働者みたい、とか勝手な事思った。

つなぎとか帽子とか。

普通に考えたら工事現場ならオーバーオールなんて当たり前の範囲だけど。

 

そんなわけでアンドレイ教会には入れなかった。

この分じゃ、今日ブログを書いている時点でもまだ工事終わってなさそう。

 

教会通り過ぎて坂を下り始める。

この辺、キエフでは一番観光客が多かった気がするわ。

 

落書きだらけの壁。

珍しくもなんともないんだが、色合いと良く見れば創作文字みたいなのが書かれてる点で目に止まった。

プレデターの文字みたいな。

 

なんとなく絵葉書風に狙う。

壁の落書きがこの家の持ち主に気の毒に思えた。

 

坂の途中に Chornobyl Tour っていうツアーオペレーターの事務所があった。

名前の通り、チェルノブイリツアーを開催してるんだろ。

サイトはここだね。

僕が利用したオペレーターとは異なるけど。

どっちがより大手なんだろ。

 

まだまだ坂は続く。

ここらの路上店をひやかしつつ、観光客向け価格のその辺のカフェでだらだらするっていう、ゆとりある観光に憧れるわ。

 

このアンドレイ坂では、骨董屋に一番興味が沸いた。

なぜなら、ソ連製のアンティークカメラを沢山取り扱っているから。どうせ動かないけど。

みんな知ってるんだな、ソ連製の古いカメラがマニアに人気がある事に。

ハバロフスクの骨董屋とかでもソ連製カメラ売ってたなぁ

Podil 地区

完全に坂を下りきった。

ここから Podil っていう地区になる。

 

なんか、、、広場!

 

Podil 地区では路上でなんとドローン飛んでた!

 

こんな街中で大丈夫か!

万が一ドローンが落ちて車の下敷きになったら、ドローンどころか、車にもアクシデント発生して人命に関わる問題になるかもって、心配してしまうけど、それこそ日本人は気にし過ぎなのか。

世界的にはもっと大らかなのかね。

 

Podil 地区は、坂上に比べれば普通に街だ。

 

トロリーバスかと思ったら、よく見れば専用線があるのでトラムだな。

トラムってありふれたものなのかもしれないけど、日本だと限られた所しかないから、僕にとっては珍しくて海外では見かける度にそれなりに興味もってカメラ構えちゃうんだよね。

 

チェルノブイリ博物館

Podil 地区では散々迷い、ようやくチェルノブイリ博物館 (National Chernobyl Museum / Національний музей «Чорнобиль») にたどり着いた。

 

表通りに面しておらず、結構分かりにくいところにあるわ。

Podil 地区をウロウロして、道にいた警官にロシア語で聞いたりもしたのに要領得ないの。

 

結局、小道に警察署を見つけて躊躇いながらも中に入って聞いてみたら教えてくれた。

なんと「隣だよ!」って。マジか。

大分時間をロスしたよ。

 

わかりにくい!

一応、建物の入り口には控えめにチェルノブイリ (Chornobyl / Чорнобиль) って書いてあるね。

 

館内は行った所。

入り口付近。

ちょっと福島の展示とかあった。

 

入場料が 10 UAH で、カメラ持込料が別途 20 UAH。

カメラ持ち込み代の方が高いとか。

入場料にオーディオガイドが着いていて、基本は英語とかロシア語なんだけど、なんと極東のローカル言語:日本語もある。

 

入り口からすぐに階段があって、そこには天井から沢山のプレートがぶら下がってる。

 

裏から見るとこう。

全部村や街の名前なんだけど、それに赤い斜線が入ってる。

ま、事前に聞いていたけれど、チェルノブイリ原発事故で消失した村の名前

 

二階がメインの展示スペース。

時計は事故が起こった午前 1:23 を指していてるっていう演出。

 

消防士の服や事故当時の防護服なんかが宙に浮いてる。

もしかしたら、幽霊みたいに浮いている演出か?とか思った。

右の茶色い防護服はたしか鉛のプレート入りだったかな。

 

基本的に写真の展示で、それら写真はネットとかで見たことあるやつが多い。

動物の奇形が展示されているとどこかで読んだけれど、今は展示されていなかった。

贋物だったのかな。

 

チェルノブイリ原発4号炉の断面図。

構造に問題があった事が事故の大きな要因の一つ。

 

以下 Wikipedia から

 

実験開始直後、原子炉の熱出力が急激に上昇し始めたため、運転員は直ちに緊急停止操作(制御棒の挿入)を行ったが、この原子炉は特性上制御棒を挿入する際に一時的に出力が上がる設計(ポジティブ・スクラム)だったため原子炉内の蒸気圧が上昇し、緊急停止ボタン(AZ-5ボタン、起動するのに約5 - 8秒、スクラム完了にはさらに20秒程度かかる)を押した7秒後に爆発した。

 

訪問客はあまりいない。

意外と広くないので観るべき所は多くないし、

写真はインターネットで知る事が出来る内容が多いし、

それそこ現地に行く事も出来るし、

 

あと、あれだ。

細かい資料が結構ごちゃっとしていて、目移りしやすい。

この膨大な資料のどれ見ようって風になる。

ドキュメントなら、自分がロシア語読めないって問題もあったり。

 

だからね、ここは一回観ればもういいかな。

 

初期の子供犠牲者と思われる。

甲状腺がんが多いのかね。

 

原発周辺の地図。

真ん中のデカイ池は冷却用の人口湖。

 

あ、ちなみにオーディオガイドによれば、作業員のオペミスという事にされて作業員や責任者は罪を問われた。

作業員は自分達の無実を訴えながら死んでいった。

また、事故当時はソ連のメンツもあって原発自体の欠陥は伏せられていたって、そんなニュアンスの説明があったけれど、作業員について罪が完全に無いと言い切っている点が印象深かった。

 

自分の認識だと、原発の構造上の欠陥はあったけれど、想定外の状態のままテストを強行した事も要因だったような。。。

現場の作業員は上から指示されるがままだったから罪はないって事か?

 

なんか自分ごときではわからないけれど、闇は深そう。

技術レベルはおそらく全然違うんだろうけれど、"上の指示で〜" とか、"現場の勝手な判断で〜" とか、そういうのは日本でも身近に感じてしまうわ。

 

あ、ここまで書いてきてなんですが、自分はこのブログで社会問題を取り上げて、なにか社会に対して主張したいわけじゃないのです。

このブログはあくまで 観光 なんでね。

 

ペチェールスカ大修道院へ

チェルノブイリ博物館を出たら、地下鉄 Kontraktova pl (Контрактова площа) 駅から地下鉄に乗って、地下鉄 Arsenalna (Арсенальна) 駅まで行って、大分歩いて、ペチェールスカ大修道院、もしくは ペチェールシク大修道院 (Kyevo-Pecherska Larva / Києво-Печерська лавра) へ向かう、、、予定だったのだけれど、

 

何故かわからんが、広場に行っても地下鉄 Kontraktova pl の入り口が見つからず。

トラムの乗り場はあるんだけど。。。

広場を結構ぐるぐる歩いたのに。。。

 

ちょっと考える。

人に聞きまくって、地下鉄 Kontraktova pl の入り口を見つけたとしても、結局地下鉄の移動は時間がかかる。

駅まで降りて切符買って電車来るのを待つとか。

また、地下鉄 Arsenalna (Арсенальна) 駅からペチェールスカ大修道院は結構距離がある。

その地下鉄駅からさらにバスに乗ったほうがいいくらいの距離。

 

そうすると、ここでやり方を変えた方がいい。

今すぐここからタクシーでペチェールスカ大修道院の入り口まで飛ばしてもらうべきだ。

 

そう意思決定するもタクシーがなかなか来ない。

キエフってタクシー少ないのかな。

あまりここ Podil からタクシーに乗る人はいないのかな。

大通り沿いで待ってみても全然。

 

困った。

 

と、思ったら、広場の脇の路上スペースに一台タクシーが停まってて、ドライバーが寝てた。

これだ!

僕はドアをドンドン叩いてドライバーを起こして、行き場所を伝える。

100 UAH とか言われたので、実際の相場はわからないけれど、50 UAH から交渉。

50 じゃどこもいけねーよ なんて言われてしまったけれど、決裂してタクシーごとどっか行かれるのも困る。

どう考えても自分に分が悪いので、80 UAH で手を打つ。

Lonely Planet のウクライナ版によれば 街中で 5 キロくらい走って 30 〜 45 UAH らしいので、大分吹っかけられた気はするけれど、ウクライナ グリブナの暴落を踏まえれば誤差の範囲内と思うことにした。

事情が事情だけに交渉してる時間すら勿体無いってのもあるし。

 

で、実際は大した事ない距離だけど、わりと結構な距離をタクシーで移動したような感覚。

ペチェールスカ大修道院に着いた。

ここから入っていけよって教えてくれた。

 

Lower Larva

着いたはいいけれど、ここはどこ辺だ?

ロンプラを開いてみる。

 

調べてみると、ペチェールスカ大修道院は Upper Lavra と Lower Lavra というように大きくは二つの区分があり、その境界らしき壁が左側に見えているので、自分がいる入り口が Lower Lavra の入り口と分かった。

 

ペチェールスカ大修道院はわざわざ "大" 修道院 と呼ぶだけあって、異様に広い。

地球の歩き方とか、観光局のサイトでは観光は一日がかりって書いてある、

ただ、TripAdvisor の書き込みによれば、見所を絞っていけば 2 時間くらいで見終えるらしい。

ま、相当見所絞る必要があるけれども。

 

とりあえず、一番の見所はこの Lower Lavra にある、地下洞窟だ。

これが Lower Lavra に 2 箇所くらいある。

そこにはミイラ化した修道士達が多数安置されているらしい。

 

上の写真の門をくぐって次の T 字路を右に行く。

 

時間が無い観光客泣かせの広々とした敷地。

結構焦る。

 

それにしてもずっと何も食べていないので腹も減った。

この修道院には敷地内にも売店が時々あって地元の人達もみんな牛乳やら買っていて、結構繁盛してた。

お求め安いお値段でパンとか買えるようだ。

 

他の人のマネして買ってみた。

菓子パン!

結構美味しい!

安いし!

 

もはや朝なのか昼なのか晩御飯なのかわからないけれど、本日唯一のごはん。

中の黒いあんこみたいなのは、Makos といって、どうやらケシの実らしい。

この辺では普通に食べられているものらしく、後日チェルノブイリの制限区域内でもパンを食べたときに同じものが入っていた。

味は、ゴマジャムというかつぶ餡というか、そんな感じ。

 

さて、地下洞窟だけど、入場は無料。

真っ暗だから蝋燭を買って進む事になるけど、大抵他の観光客や信者等の入場者が明るく照らしてくれるので、蝋燭を買う必要性は薄い。

 

あの奥が地下入り口だな。

内部の写真は無い。

撮影禁止だったから。

 

中は確かに沢山死体が棺に安置されていて、信者が祈ってた。

また、信者だけ進める道もあるので観光客はある程度歩ける範囲に制限がある。

 

そういう制限がいろいろあるけれど、それでもこのペチェールスカ大修道院では一番印象深い所として記憶に残った。

 

 

他は、

 

大聖堂の類は中よりも外観が素敵だ。

 

キンキラキンに輝く先っちょが荘厳な感じ。

 

カップル。

顔を手で覆っているけど、カメラ向ける前からです。

 

装飾された十字架が綺麗だ。

そこだけ見れば、エチオピア正教の十字架みたいだ。

東方正教会系はみんなこうなのかね。

 

敷地内には狭いエリアにお墓もあった。

ここに埋葬される人は特別なのかね。

 

この辺が Lonely Planet のウクライナ版 4th Edition の表紙の写真辺りだろうか?

建物は多分これだけど、そのロンプラの写真には緑のドーム状の屋根が無いから、真逆からの撮影かもしれない。

 

 

だいたい Lower Lavra は見終わったので、Upper 側へ移動。

壁でこんなに仕切らなくても。。。もはや刑務所の壁のようだ。

こんなんだから、決して敷地内から Upper 側へ移動する抜け道なんてあるわけが無い、と思うじゃない?

 

だから、奥までは確認なんてせず、案牌を切って、一回入り口まで戻って外から Upper 側の入り口へ移動した。

Upper Larva

 

ここが、Upper Lavra の入り口。

なんとここに来て入場チケットを買うよう促され、表の横にある券買所で買う事になった。

たしか 50 〜 60 UAH くらい。

 

ついでに、外の売店でもまたまた菓子パンを買う。

菓子パンの種類はあるけれど、食べ物の種類はそんなに多くない。

 

Upper Larva 入ったところ。

鐘楼があるけど、ソフィア大聖堂で登ったからもういいや。

鐘楼は上ると、体力を著しく消耗するし。

 

で、Upper に入って一番奥まで行った時、、、

 

あれ?

ここはどっかで見たことがあるぞ!

って右をみて愕然と。

 

なんとさっき左に見ていた壁が右側に出現。

って事は Upper から Lower へ敷地の一番奥から抜けてきちゃったのだ。

"抜けてきちゃった" というか、抜けられるようになってたのか!っていう驚きとずっこけ。

 

えー

これってさ、自分先に Lower から入ったとき入場料払わず、Upper に入ったとき初めて支払ったじゃん。

さっき、自分は Lower 出るときいちいち出口まで戻ったけど、例えば Lower から入って一番奥から Upper へ行くじゃん?

その方法ならお金払わずに観光できてしまう事になるけど...

いや、でも本来は入場料金を払うスポットなんだから、先に Lower にきて支払わずに入った事の方がダメだろ。

 

いずれにせよ、もう Lower には用は無いので、Upper 側へ戻ってきた。

 

ここはウスペンスキー大聖堂。

 

でも、あんまり見るところ無いね。

ミュージアムとか見逃せない所らしいけど、もうお腹一杯。

これこそ、弾丸旅の弊害。

大聖堂内も撮影 NG ばっかりで写真が残っておらず、正直記憶も曖昧。

 

もう日が傾き始めてるな。

鳩が、、、シュール。

 

クレイジータクシー

さて、空港へ戻ろう。

 

黄金の門 (Golden Gate or Zoloti Vorota / Золоті ворота) やウラジーミル聖堂 (St. Volodymyr's Cathedral) がまだ残っていたけれど、既に時間は 16 時頃だし。

19:35 のフライトに乗るのならもうそろそろ帰るべき頃合いだ。
 

ペチェールスカ大修道院はさすがにキエフ一番の見所のせいか、さすがに外にはタクシーが待ち構えていた。

地下鉄駅までは遠いから、せめて空港行きのバス:Skybus が発着する 鉄道駅:Pivdenny railway station の前まで行ってもらおうと思った。

ウクライナ語なんてわからないから、複数人のドライバーに Skybus って書いてやっと伝わった、僕がどこへ行きたいのかってね。

「だったら、空港までタクシーで行けばいいじゃん」って。

もっともだけど、ボルィースピリ国際空港までは遠いから高い金を払うのはゴメンだ。

そんな事に迷っているとドライバー達も察してか、金額を提示してくれた。400 UAH か 20 USD でどう?って

どうせそれでも観光客向けだろ、ロンプラによれば空港から市内のタクシー代の目処は 300 UAH って書いてあるし。

 

でもね、たかが 2000 円で空港までぶっ飛ばしてくれるのなら、安心かな。

僕はこれまでフライトに乗り遅れるという致命的な失敗を多くしてきたせいで、これがトラウマになってるのだ。

そんな自分にとって、2000 円という安心代は安いもんだった。

もう、交渉も面倒臭い。

20 USD でいいや。OK って言ってやった。

ドライバーは勿論大喜び。

ま、2000 円で大喜びしてくれるんなら安いもんだ。

 

ドライバーは早速市街へ向けて車を走らせる。

途中気前良く車窓から見えるものを案内してくれる。

 

タクシーで橋の上から見える「祖国の母」像。

大祖国戦争博物館 (Museum of The History of Ukraine in World War II / Національний музей історії України у Другій світовій війні) にある。

でかい!

108 メートルもあるらしいからね!

ドライバーが気を利かせて「写真撮ってきなよ」っていうから、一旦降りて撮った。

 

となりには、さっきのペチェールスカ大修道院がみえる。

デカイわ、広いわ〜

 

橋近く、川沿いにあるマンション。

これもデカイなぁ それに無機質。

 

さて、その後なんだけど、びびった。

郊外まで出ると、ドライバーがぐんぐん速度上げる。

おっちゃん自分の車 TOYOTA 大好きって言いながらさぁ

 

助手席に座っている自分だったけど、時速 160 キロくらい。

やっべー

どんどん車追い越してるし。

20 USD がそんなにうれしいのかなぁ

 

特急電車並みにぶっ飛ばしてる。

ここらには速度計測してたりしないのかね・・・覆面パトカーとか。

たぶんこれはタクシーだし、計測していない事を知っているに違いない。

 

普通、ボルィースピリ国際空港まで車でも一時間かかるんだけど、さあ着いたよっていってタクシー降りて観光客向けのプライス: 20 USD をドライバーに支払ったとき、時計をみるとわずか 20 分しか経過してなかった。

つまり 1/3 の時間しかかかってないってわけ。

この時点で 16:30 にすらなっていない。

 

まじかよ〜〜

こんなに早く着くのなら、もっと観光に時間を割いても良かった。

結果論だけど。

 

しげきちはちからつきた

ボルィースピリ国際空港について一安心。

 

預けていたバックパックを受け取った、、、所くらいまではいいんだけど、、、

その後は見出しの通り。

 

まず、極度の疲労感と脱水症状。

水は割りと飲んでいたのに。

空港の売店で 100% のオレンジジュース 1.5L を買うと一気飲み。

で、う、うごけない、、、、

ベンチにへたり込んで動けなくなった。

 

あたま、ぼーっとする。

疲れ方がやばいな。歳かなぁ

初日が辛いって十分予想していたけれどね。

 

ぶっ倒れたまま 1 時間経過。

 

オデッサ行きのフライトに乗る事を躊躇してしまいそうになるけど、行かないとそれはそれで新たな疲労要因となるので、行くしかない。

そろそろ行くかなって、ようやく立ち上がってトイレに行く。

と、鼻血が凄い勢いで出てきて止まらない。全然。

便器が血まみれに。

やっばい。

でも、幸いにも服は汚れてないぜ!

 

そう、海外で疲労が蓄積すると最近は鼻血が出るようになってしまった。

日常生活ではあまり出ないんだけど。

最近だと、2015 年のシルバーウィークに行ったスリランカ旅

あれは鼻血ばっか出てた。

初日もそうだけど、帰国日の前日、コロンボからゴールへ日帰りで行った時。

行き帰りの大混雑の電車の中で鼻血止まらず、恥ずかしかった。

 

仕方なく、トイレットペーパーを鼻に詰めて受けるは、比較的厳重な荷物検査。

こんなでかいトイレットペーパーを鼻の穴に突っ込んでいるのに、係員には何も言われず。

もしかして、鼻血でてるやつに見慣れているのかね?

 

この後はなんとかウクライナ航空に乗ってオデッサへちゃんと行った。

オデッサではホテルがピックアップを打診していたので、それに乗っかってたので、自分の名前見つけてちゃっちゃとホテルへ。

オデッサの空港は市内からそんなに離れていない。ボルィースピリ国際空港より近いけれど事前の提案では 300 UAH だった。

ま、いっか、大して変らんし。

 

次回はオデッサの事を書く。

もしかしたらオデッサ市内とアルカーディアで二回に分けるかも。

 

 

これは Google+ と Line のサムネイル用。

なぜかわからないんだけど、他の SNS が一番上の画像をサムネイル表示に用いるのに対して、この二つの SNS は、何故か投稿した記事の中で一番下にある画像を自動的にのサムネイル表示するようなロジックになっているため。

 

 

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