ガスマスクだらけの中学校 - チェルノブイリツアー

ガスマスク

 

 

近況報告ですが、どたばたした挙句、急遽モルディブ行きが決定しました。

休暇になるのが決まったのは一週間前。そこからデスクワークしてここまで計画をもっていくの、結構エネルギー使った。

 

明日 11/8 早朝からフライトなんだけれど、その前にせめてブログを更新しようと思って書いてます。

スケジュール作成したのでみてください。

 

モルディブ ダイビング旅は突然に

http://tabisuke.arukikata.co.jp/schedule/80133/

 

ま、見てわかる通り、ローカル島の中では一番知名度のあるマーフシ島でダラダラしつつダイビングなんぞを適当に挟んでリラックスする旅。

ダイブサファリでもよかったけれど、ちょうどタイミングよく乗船出来るダイブサファリなんてなかったわ。

ほか、ほとんど何もしない。マーレでも一泊するくらい。本当に圧縮するプランから脱却したい。
ぶっちゃけまいってる気がするし、疲れたくない。

 

最近の旅を振り返ってみても、コーカサス、ウクライナ、トルクメニスタン、ベネズエラ、エチオピア、キューバ、マダガスカル、タンザニア、などなどそれもこれも非常に気が抜けない超タイトスケジュールだった事のカウンターだな。

ああ、四日くらいでいく近場の海外も、せっかくだからと思って詰め込みまくって疲れて帰ってくるということを繰り返していたわ。

 

モルディブに関して、それでもラスドゥくらいは別途行くようにすればよかったわ。。

あっちの方が環礁に囲まれている感じがするし。

ラスドゥを知るのが遅かったわ

 

ところで、モルディブ、直近で非常事態宣言なんか出やがって心配だ。

でも、毎回何かどこかしら懸念点はあって、完璧な状態で旅をするなんて事の方が珍しいのだ。

これはお蝶婦人のテニスに対する取り組みのようなものだのだ。

 

 

 

で、本編。

 

スイミングプールから続いて訪れたのは Middle School Number 3 だ。

http://chernobylgallery.com/galleries/pripyat-middle-school-3/ これ。

 

ガイドに聞いた所では小学校でもあり、中学校でもあるらしいが、方々のサイトで確認すると中学校とある。

北カフカスの北オセチアにあるベスラン学校の襲撃事件 のあったベスラン学校も、あれも確か小中学校だったはずだ。

小学校と中学校が一緒なのがソビエトのスタンダードだったんかね?

 


Middle School Number 3 はストレートに日本語訳すると第三中学校ってことだね。


ちなみに前回のスイミングプールの隣の建物なので、徒歩移動。

位置を確認したい人は地図を見てくれ。

以下サイト内のマップの Pripyat を開き、"III Microdistrict" 内にある。


Chernobyl Maps
http://www.chernobylmaps.com/

 

Pripyat
http://www.chernobylmaps.com/wp-content/uploads/2014/01/PRIPYAT_CITY_CM.pdf


ここの中学校もチェルノブイリツアーでは大抵行くスポットだろう。
有名にしているのは建物の保存状態が良好な事と、なにより大量のガスマスクが放置されているから。

 

ガスマスク

こんな感じで。

ちなみにここは確か食堂?っていってたかな?

 

テーブルが置いてあって、まるで祭壇みたいに本とかお賽銭が置かれてるんだけど、慰霊碑みたいなノリでやっているのかなって思った。

 

ここのガスマスクは、とーーーってもツーリスティック。

こんなテレビの額と、ガスマスク群の真ん中に椅子が置かれていて、ぬいぐるみにガスマスクが付けられて置いてあるわけ。

 

完全にディスプレイされた感じ。

頭の中が Slipknot の曲がかかる。(別に好きじゃない。全体的には退屈なんだよな)

 

いや、もはやデコレートといってもいい。

日帰りツアー客がこれみて幻滅するのは理解出来る。

あんな飾り、まじでセンス疑う。

 

なお、これらガスマスクは、原発事故を想定していたわけじゃなくて、冷戦時に核戦争なんかの備えだったらしい。

原発事故の時、役に立ったのかどうかわらかない。

裏づけないけれど、事故当時の映像を見るとみんなこんな感じの付けてるから、やっぱり役に立ったんじゃないかな。

 

 

で、構内の他の部屋もまわる。

ガイドはここのガスマスク部屋で待ってるから、決まった時間まで自由行動だと。

 

物理学室

 

とりあえず、物理学室がお勧めって事でやってきた。

教室の上には電波に関する教材が。

 

中学校でこんな難しいのやってたのか。すげーなソビエトって。

 

どのような教科書かわからないけれど、描かれた男性達が「ザ・ソビエト」って感じでおもろい。

ステレオタイプなソビエトの人。

レーニンみたいなの。

 

黒板は当時書かれたものか、後の訪問者が落書きしたのかわからない。

 

準備室の方。

物が散乱していて、あんま奥へ入っていけない。

入っていったとしても、特になにも無いので、徒労に終わる事を徐々に自覚し始めたころ。

 

構内その他の見所

 

 

こっちの部屋は見ての通り本だらけ。

図書室か?

 

廊下の掲示板。

 

階段を上る。

こんな風に実はもう外は結構暗い。

ガイドがかなり巻きで我々を誘導しているのも頷ける。

行くべき所は多いのに、日没まで時間が足りない。

 

多分、トイレ。

 

多分ね、教室より廊下の掲示板とかの方が当時の張り紙が風刺みたいに残っていて、興味深く見ていられる。

 

これは宇宙工学か。

ボストークとかガガーリンとか?

 

廊下。

前回書いたピンク・フロイド (Pink Floyd) の Marooned にもこんな廊下で人影を追いかけるシーンがあったな。

 

         

 

Pink Floyd - Marooned (Official Music Video)

 

屋上へ

 

どんどん上に登っていき、屋上手前。

この辺にもガスマスクが散乱。

 

多分、ガスマスクはこんな感じの木箱に入っていたんだろうね。

ソビエトは核戦争の準備万全だったんだね。

 

で、ここが学校の屋上。

あれだ、ここでスクールアイドルは練習するんだ。

 

高層マンションなんかが木々の間に見えるけれど、木々はあまりにも高く伸びているので、視界は良好と言いにくい。

 

構内の中庭を撮ってみる。

校舎の造り、デザインがちょっとわかる。

 

音楽室。

相変わらずものが散乱

 

あのレコードで何か聞けるのかすっごい興味あり。

 

廊下まではみ出る本。

 

部屋の中も本と本と本とか。

本の上を本を踏んずけて歩く。

 

まあ本当はもっといろいろあるんだろうけれど、限られた時間で見て回れたのはこれくらい。

 

 

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スイミングプール - チェルノブイリツアー

Azure Swimming Pool (Басейн Лазурний/ Бассейн Лазурный) もしくは、Public Pool "Lazurny"

 

 

ちょっと年末年始を挟んだり、身の回りのドタバタで更新が滞ってた。(遅い事に言い訳するのはいつも通りだな、我ながら)

今日は積雪のせいで早めに帰れたから、ブログを書く余裕があるな。

本当はもうちょっとブログ書くペースを上げたいんだけれど。

 

近況としては、年末年始のラオス旅行は思ったより良かったわ。

なんとなくなラオス旅

 

いつもタイト過ぎるスケジュールで疲れ果てるから、今回はせいぜいホテルの予約だけして、綿密な下調べやアポ取りなんかせず気楽に行こうと思っていたけれど、ふたを開けてみれば結局超弾丸旅で疲れ果てたわ。

これは性格なのかな。なかなか行けないと思うといろいろ欲張ってしまう。

 

ラオスの定番スポットだけどシーパンドンやルアンパバーンは雰囲気良かったね。

でも二度三度行くような、いわゆるリピーターにはならなそう。

ラオスにまた行くとしても、まだ行ってない所かな。ジャール平原とか。

ラオス旅、Facebook やインスタにはリアルタイムでちょっとずつ訪問時の写真をアップしてきたから、気が向いたら見てみてください。

 

 

さて、本題はチェルノブイリツアー プリピャチ市内のスイミングプールについて書く。
このブログは一応訪問した順に書いているから、スイミングプールはお題として順当だ。

 

どうでもいいことだけど、チェルノブイリの事をブログにするにあたり、ちょっと軌道修正する。

前回までの記事、一つの記事内に複数行った所を書いた後、それをタイトルに羅列していたからバラバラして分かりにくかった。

また、タイトルは見出しだから、もっとタイトルに分かりやすく "チェルノブイリツアー" って入れるべきと思った。

 

バスケットコート

スイミングプールというタイトル付けて小見出しがバスケットコート。

この施設はもちろんスイミングプールがメインだけど、バスケットコートも備えられてる。

 

入り口付近。

物が散乱してて相変わらず気を付けて歩く必要あり。

 

バスケットコート。

またしても。

バスケットコートは文化センターにもあったから。

 

でも、文化センターのに比べればちょっと規模は小さい。

特に床に関して、文化センターより若干損傷が激しい。

 

プールとバスケットは当時の流行りだったのか?って思ったのもつかの間、現代の日本の公営の体育館施設を思い出すと大抵プールとバスケットコート (兼体育館) を備えている事を思い出した。

って事は、今も昔も世界どこでもスポーツ施設としてとてもありがちな組み合わせって事かもしれない。

 

一応、英語版 wikipedia にはここのプールにはバスケットコートがあったことが書いてある。

 

 Currently, the swimming pool and the adjacent indoor basketball court are abandoned.

 

スイミングプール

 


Azure Swimming Pool (Басейн Лазурний/ Бассейн Лазурный) もしくは、Public Pool "Lazurny"。

 

Lazurny は Azure の事で、Azure は紺碧だから "紺碧のプール" ?
しっくりこないけれど、そんな感じだな。

ここはプリピャチの有名な見所の一つなので、プリピャチを見て回るツアーなら大抵ここにも立ち寄るんじゃないかな?

・・・あの落書きがとても鬱陶しい。

 

高飛び込みのプールを兼ねているから飛び込み台側は深い。

 


高飛び込みの飛び込み台が残る。

 

長さは 22 メートルのプール。

文化センターのプールもそうだけれど、どちらのプールも長さが一般的なプールより短い。

日本だったら小学校にあるプールは少なくとも 25 メートルはある。

 


さて、wikipedia に書いてあったのだけれど、このプールは 1998 年まで使われていたらしい。
1998 なんて結構最近じゃん。たったの 20 年前の話。


チェルノブイリ原子力発電所事故は 1986 だから、事故の後も 12 年間利用されて続けたって事だね。
リクビダートル達がプールとして使っていたというから驚きだ。
一般的に、スポーツジムではスイミングプールが一番維持費がかかるって聞いた事ある。
それにここは周りが廃墟だし、高濃度で汚染されたエリアのど真ん中だ。
そんな特殊な場所でプールが利用可能なように維持されていたのは、本当にすごい。

 

廃墟のプリピャチの街中でここのプールだけ、煌々と明かりがともされて潤沢に水があったのかと思うと、それはなかなかイメージしにくい。
とても不思議な光景だったんじゃないかな?

 

一応画像検索してみると、結構出てくる。
これは 1996 の写真らしい。

窓ガラスが曇っていて外が良く見えないせいか、案外普通に "寂れたプール" って感じだ。(窓ガラスが曇ってるって事は暖房設備もちゃんとしてるって事だね)
リクビダートル達は、地獄みたいな事故処理作業の終業後にここで泳いだら、いい感じでリフレッシュして気持ちよかったのかもな。

 

プールに使っていた水はどうかな?

この辺の水は間違いなく汚染されているぞ。

水だけキエフから持ってくるってのも現実的じゃない気がする。

自分の勝手な憶測だけど、プールに使っていた水は運河の水をろ過したもの。

ある程度綺麗にはなっただろうけれど、放射能汚染って点では除染されていたか疑問だな。

 

おそらく採暖室につながってる階段。

 

プールの出入口。

奥にプールが見える。

 

出入口すぐ近くのトイレ。

 

раздевальный これは更衣室。マークから男性用更衣室か。

 

表玄関。上の方にある写真の奥に当たる。

 

ピンク・フロイド (Pink Floyd) の Marooned


ピンク・フロイド (Pink Floyd) に Marooned っていうインストゥルメンタルの曲がある。
この曲はお気に入りアルバム:The Division Bell (邦題は "対") に入っている。
訳せば "孤立" って事になるか。

 

          

 

 

Pink Floyd - Marooned (Official Music Video)

 

いわずもがな、大好きな曲です。
この Marooned の Official Music Video は曲の途中からプリピャチの廃墟が延々と流れるのだけど、この廃墟の Azure Swimming Pool も出てくる。


このプリピャチはとても "孤立" しているから曲のタイトルにド直球ってところかね。
個人的には、曲の冒頭に入ってる波の音やカモメの鳴き声から、この曲は The Division Bell の中ジャケの写真のような静かな海岸をイメージしていたんだけれど。

 

で、最初に Music Video 観た時、ちょっと混乱した。
The Division Bell がリリースされたのは、1994 年だから、リリース当時、まだこのプールは利用されていたはずだ。
なのに、Music Video の中のプールは既に廃墟になっている。


これは、The Division Bell の リリース 20 周年にあたる 2014 年に記念盤がリリースされるにあたりこの Music Video は制作されたって事。
そうか、とわかればそれまでなんだけれど、利用を止めてたったの 20 年でここまで朽ち果ててるのかって気付きもあった。
コンクリートの建造物でも、人がメンテナンスをしないとすぐに朽ちてしまうだなぁって
もっと前から廃墟だった周りの町の廃墟具合とほとんど変わらないじゃないか。

 

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スタジアムと高層マンション登頂 - プリピャチ

プリピャチの高層マンションに登頂!

眺め最高!

 

 

前回の件で自分はちょっと腹が立ってた。

4 人で置いてけぼりくらった件だ。

遊園地をしっかり観る時間が取れなかったのも。。。

先を急いだせいで逆に時間が無くなってるっていうね、もう。。。

 

スタジアム跡

遊園地を後にしたウチラはガイドを先頭に歩く。

ここは、、、もやは森のような場所。

 

前回同様、プリピャチの地図を貼る。

Pripyat

 

連なって歩くと、森の向こうになにか見えてきた。

 

ああ、これはスタジアムの観客席の跡だな。

じゃあ、グラウンドは?って一瞬わからなかった。

が、今自分が歩いてきた森がグラウンドだった事に気付く。

 

観客席と森の境はこんな感じ。

マジか!芸術的で驚異的だ!

廃墟ではよく思うことだけれど、植物の生命力って凄いよな!

人工物を簡単に突き破ってくるからさ。

木の成長速度は測定出来ない程高い! 

 

グラウンドは土だっただろうから、植物は元々育ちやすいんだろう。

それでもここまで立派な木が生えてしまう事に月日の流れを感じるわ。

30 年経っているからなぁ

木が育つのにそこまで時間はかからないだろうから、これが普通なんだろうな。

 

なんていうんだ?選手が控えからグラウンドに出てくる入り口の部分。

 

サイドの壁を見てみると、雨で溶けだしたコンクリート内の石灰で、なんとつららが出来てる。

グラウンドの森と同様、ここにも時間の経過を感じる。

 

ウチらは、観客席を上まで登った。

客席が木で出来ていて、腐食が激しい。

いや、30 年だから、これでももっている方かな。

 

上からの眺め。屋根がある部分のベンチは腐食があまり進んでいないね。

それにしても観客席からの眺めが "森" ってさ、、、なんか森を鑑賞する席みたい。

 

 

根岸森林公園

ここで余談なんだけど、自分が住んでる神奈川県横浜市に根岸森林公園っていう、自分もなかなかお気に入りの公園がある。

 # ちょっと脱線するので、それが嫌な人は下の方にある小見出し "高層マンション" まで進んでください。

 

公園のサイトはこれだな。

根岸森林公園オフィシャルサイト

 

花見の名所として地元では人気だ。

なんでこの公園を唐突に紹介しているかといえば、プリピャチのスタジアムを見てこの公園を連想したからだ。

 

花見の時はこんな風になる。

そこは戦前まで競馬場だった場所なので、広大な敷地がすり鉢状に残っていて、そこに桜が沢山生えているから、桜の見栄えが凄くいい。

 

で、競馬場の跡だから、観客席が今でも遺構として残ってる。

 

それが、ここのスタジアムの観客席に似てるなって思った。

これは裏側ね。

観客席がある側は今でもアメリカ軍のベースになっていて立ち入り出来ない。

この公園も戦後に接収されていたものを部分的に返してもらって公園になったっていう流れ。

 

いや、脱線してまで何が言いたいかというと、ここの観客席にプリピャチのスタジアムの観客席跡が似てるなっていうw

わざわざ言いたかったので、画像まで貼って説明してみました。

 

 

はい、プリピャチに戻ります。

 

スタジアムに残る鉄塔。

用途はわからん。

これは複数あって、既に倒れこんでる塔もある。

って事はこれも倒れる危険性あるかもな。

 

森の中を進む我々。

前を歩いている赤いパーカーの彼はロクな奴じゃない。

ドイツ人なんだけど、木の根っこや工場のパイプ管など蹴って壊してた。

さすがにガイドも注意してたな。

 

まぁこういう無理な奴ってどこにでもいるわな。

同じグループなのは短期間だし我慢だな。

せめて自分に被害が及ばなければいいんだけれど。。。

 

高層マンション

 

森の中にマンション群が見えてきた。

森が森過ぎる。。。

 

落ちてた靴。

こういうのは、ものすごく放射能汚染されていたりして超危険。

 

9階建て?かな?

マンションはあっちこっちにあるんだけど、一際高いやつに登るってさ。

 

窓は意図的に開けてあるんだったな。

開いてない窓は、後になって外から放水して割ったんじゃなかったかな。

 

ゴミ捨て場だな。

あの煙突みたいなのは各階のごみ捨ての口と繋がってる。

ああ、自分も小学校の時、校舎にそういうのあったな。

 

ガイドがなんか特別な部屋らしい所にウチらを連れてった。

 

そこは床一面に本。

本だらけ。

 

図書室とか言ってたかな。

 

テーブルの上の新聞。

января は一月の事だから、1986 年 1 月 10 日の新聞だ。

事故の三か月前の新聞だから、事故当時も既に古新聞だったって事になりそう。

 

なんか、TOEIC の写真問題思い出すわ。

 

さて、登頂タイム。

えっと、こいつは多分 16 階建て?

 

前回みんなで話し合ったルール通り、フィンランド人が後から来る自分を見てくれてる。

 

中、さすがにエレベーター動いていない。

っていうか、吹き抜けの穴と化しているので、階段で登るしかない。

いや、これがめちゃ大変だった。

 

郵便受け。

 

生活感というか、その痕跡がいいな。

 

階段をぐるぐる登っていくんだけど、各階はいろいろ家具らしきものが散乱してたりする。

 

各階で横も気になる。

部屋を見て回りたい。

でも、それは降りてくる時にちょっとずつ見学出来た。

 

エレベーターのドアがしっかり残ってるフロアだな。

これは珍しい。

 

窓の外。

 

だんだん見晴らしがよくなってきた。

 

エレベーターホールの暖房設備と思われる。

 

さっき、下でみたゴミ捨て場を上階からみた所。

小学校の掃除時間の時、ここから塵取りで集めたゴミを捨てたりしたな。

 

なぜかエレベーターホールに多く残るソファ。

もしかして、エレベーターを待っている時のために、腰かけられるようにもともとここに置いていたのかな。

 

階段を上って、いよいよ屋上という時に通る、最上階との隙間。

屋根裏部屋?

暖房施設や給水施設のパイプが沢山。

 

やっと、屋上!

いやー疲れた!

 

登っても登っても、まだまだ登り階段出てくるんだもんなぁ

息が上がったわ!運動不足を加味しても疲れた!

 

うっわー森の中にマンションだらけだ。

 

あそこは川だな。

後で川沿いの港にも行く事になる。

あれよりはるか彼方がベラルーシ領。

ベラルーシは事故当時、その時の風向きから、ウクライナ以上に被害を受けた。

ベラルーシのゴメリ、もしくはホメリ (Гомель / Homyel) という街は、今でも汚染に苦しんでいる。

 

前にも書いたけれど、チェルノブイリ ハートっていうドキュメント映画にゴメリが出てくる。

ゴメリでは多くの子供達が甲状腺がんになった。

 

 

 

ゴメリといえば、あのテニスのシャラポワも関連してる。

シャラポワの両親はゴメリ出身で、この事故の影響でニャガン (Nyagan / Нягань)っていう街に引っ越した後、僕らが知るシャラポワがそこで生まれた。

だから、事故がなければシャラポワはゴメリ出身だったかもしれないし、そもそもテニスをやっていなかった可能性だってある。

また、ウクライナと隣接するベラルーシ側の広大な森は、自然保護区 (Палескі радыяцыйна-экалагічны запаведнік) になっているんだけれど、研究者以外立ち入りは許可されていない。(ロンプラの掲示板がソース)

 

こんなウクライナ側とは違い、ベラルーシ側の状況っていうのはあまり簡単には見る事が出来ない。

凄く興味深い保護区なので行ってみたいのだが。。。
 

となりのマンション。

たぶん同じ型だ。

16 階建てっぽいから、やっぱりここは 16 階建ての屋上か。

 

発電所は御覧の通り。

 

事故の日、ここから凄まじい炎が上がるのが見えたに違いない。

そして見ていた人達は取り返しのつかない被曝をした。

 

四方に写真を沢山撮っておいた。

 

自分がいるマンションの鉄柵。(蜘蛛の巣付き)

鉄柵はサビて劣化しているので鉄柵の役割を果たしていない。

そういう点ですげー怖い。

落ちたら死ぬし!

 

はるかかなたにゴルフの打ちっぱなしみたいな人工物が見える。

あれが!当時のソビエトが誇るレーダー施設!Duga-3 だ!!!

座標は 51.305394, 30.064132

方角的にはプリピャチから南にある。

あれは本当にかっこいい!絶対に行きたかった場所だ!

 

実際、二日目に見学してテンション上がった。

じきにこれも記事にする。

 

なお、ガイドに「明日はあそこに登れるのか?」って聞いたら、ダメだって。

でも、YouTube に時々あれに登っている動画があるんだけど?って聞き直したけれども、劣化が激しくてもう無理だと。

 

可能な限り真下を撮ってみる。

こえぇええ〜〜

柵がほぼ無いしさぁ

放射線量以前に落下で死ねるわな。

 

やっぱりこっち側が沢山マンションが見えて、見栄えが良い。

 

ところで、プリピャチの町は大まかに 5 ブロックに分かれていて、このマンションは第四か第五ブロックに位置してるんだと思う。

根拠は同じ方向に観覧車と原発が見えたから、これを町から一緒の方角に見る事が出来るのは、町の北側に位置する第四か第五ブロックって事になりそう。

さっきリンクを貼った pdf をみると、第四か第五ブロックにもマンションが建ち並んでいるから、そのあたりからなんだろうな。

 

マンション内部

 

さて、マンションから降りつつ、ちょっとずつ部屋を見学する時間だ。

 

これがマンション内の典型的な部屋の一つ。

 

以外とここは小綺麗になってる。

 

そりゃあほこりとかたまっているけれど、少なくとも物であふれてるようなことはない。

 

あと、部屋毎に結構内装変えちゃって良かったのか、みんな割と好き勝手に部屋を飾ってる印象。

 

赤いソファ。

 

えーっと、オーブンかな?

 

エレベーターを真下に向かって撮影。

これも怖い!

カメラも絶対落としたくないわ!

 

まだ、14 階。

 

窓ガラス。

割れていて、危険。

ほんとね、放射能より普通に怪我の心配をする場所だ。

 

エレベーターホール。

ソファが歩行の邪魔。

 

マンションから出た。

ここからしばらく徒歩らしい。

 

ここにも自然の脅威が。

この穴自体、植物が開けちゃったってことか。

ガイド曰く、「あまり近づくな」と。クレパスみたいに割れて滑落する危険があるとか。

 

通学路を示す標識かな。

走ってるシルエットが可愛い。エモーショナルだ。

日本のは、もっと事務的じゃないか。

 

 

 

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タウンサイン、ホテル、遊園地 - プリピャチ

プリピャチの遊園地

 

ガイドとはぐれてマジで焦った場所。

 

 

町の呼び方について

まず、この "プリピャチ" というカタカナ読みだけど、あまり通じない。


どんな言い方だと通じるか、だけど、「プリピイェ (プリピエ)」みたいなニュアンスで発音したほうが通じやすいと思った。

この前ジョージアに行った時に知り合ったロシア人から、ロシア語の便利でカジュアルな挨拶として、プリビエ (Привет) って言い方教えてもらった。

それまでズドラーストヴツェしか知らなかったから、短くて言いやすいでしょう?って感じで。
「え〜?ロシアと旧ソ連圏行ってるのに、そんなのも知らないの?」って言われてしまいそうだけど、はい、すいません、しりませんでした。


そのロシア人には自分が前年にチェルノブイリに行った事を話していた。

挨拶としての "プリビエ" は町の名前:プリピエ (Припять) の言い方と大体似てるって。
だから、自分の中では、"プリビエ" って言えば、フランクなこんにちは。
"プリピエ" にすれば、このゴーストタウンの事って使い分け。

 

さて、プリピャチ (Прип'ять / Припять) の町。# ウクライナ語の方は一部文字化けするわ。

タウンサインから。

 

タウンサイン

タウンサインってわかります?

該当する日本語がよくわからんけど、町の限界の所にある町の名前が書かれた標識だね。

 

このプリピャチには御覧の通り、立派なタウンサインがある。

四号炉から東側の位置。道はちょっと回り込んでる。

 

ここはとても有名なプリピャチのタウンサイン (Стелла Припять)
座標:51.388474, 30.076802

白色が真新しく、町が廃墟化してもこのサインは補修されているに違いないな。

 

ヘアピンカーブみたいな場所。

僕らは当然、このサインの前で停車して撮影。

 

このサインから左に伸びた道を北に行くと、プリピャチの町のセントラルに着く。

 

1970 年って書いてあるのもそうだけど、全体的にずんぐりしていてレトロなデザインだと思った。
1964 年の東京オリンピックすら連想するのだけど、こういうのって当時の流行りのデザインだったのかな?

 

サインの袂は、お墓っぽい。

 

もしかして、お墓も兼ねている?

 

分厚いブロックの塊みたいなデザインがいい。

ロシア語でプリピャチって書いてあるね。

 

文化センター

さっきのタウンサインから、ミニバスで北上、線路をまたぐ鉄橋、通称:ブリッジ・オブ・デス を通り、街のメインスクエアに到着。

デスブリッジについては、後から立ち寄ったのでそのタイミングでもうちょっと掘り下げて書くつもり。

 

このプリピャチの地図のリンクを貼りましょう。

Pripyat

 

それと、YouTube に今回のルートと大体同じ回り方してる動画見つけた。

Путешествие по Припяти #2. Центр / Trip in Pripyat #2. Center

 

前の記事に貼ったスラブチッチの町からこの四号炉近くにある Semykhody Station に着く列車の動画と同じシリーズだね。

Поезд на ЧАЭС / Train to ChNPP

投稿者が同じだし。

 

アンビエントな BGM がなかなか雰囲気あって好きだな。

冒頭でタウンサインの撮影にレッドフォレスト (赤の森) に入り込んでて、なかなかチャレンジャー。

 

ここがプリピャチのメインスクエアだ!一階部分がスーパーマーケット的な集合住宅をみると、日本にもある古めの住宅公団のマンションみたいだ。

 

広場に隣接する文化センター:Palace of Culture Energetik (Дворец культуры Энергетик) 。

ホテル・ポリシアと繋がってる。

 

まずはこの中へ。

なお、ポリシアっていうのは、警察の事じゃなくて、この辺のエリアの名前らしい。

 

文化センターはスポーツジムやら催事場の役割があったようで、この複合施設はいろいろな見どころがあった。

ソビエト連邦当時の文化が残っているわけだから、そりゃもう興味深い場所だわな。

ホテルってタイトル内に付けたけれど、歩いた範囲って文化センターの箇所ばかりだったな。

 

エレナのサイトにも出てくるこの場所。その時代のこの地方のおえら方。

 

メーデーパレードの準備をしていたという事だけど、そのパレード用だったのかな?

この町でのパレードは避難のため、開催されなかった。

 

учиться, учится, учится!

В.И. Ленин

 

「勉強する、勉強する、勉強する!B.N. レーニン」だって。

レーニン名言集でググってみたところ、もっとそれっぽい訳があったわ。
これは、「学べ、学べ、なお学べ」だって。

 

座席表?

翻訳追い付かず。

 

部屋を移動すると、工場みたいなエリアに出た。

 

かなり暗い。

ガイドはガンガン先に行くからちっとも追い付かない。

はぐれそうなんだが。

 

СССР

ソ連って書かれたでかい看板?と偉い人。

栄光を伝えるはずの品々が高レベル放射能汚染された町に遺棄されてる。

皮肉じみてるね。

でも、この立て掛け方は演出だわな。

 

大学の大きめの教室みたいな所。

講演会等開かれていたのかな?

肝心のガイドが先走り過ぎてて全然説明聞けず。

 

階段上ったんだったかな?

ロビーっぽい所に出た。

 

とても大きな壁画が残ってる。

ゴーギャンみたいな人物像にキュビズムの要素と、なにやらベタな未来世界みたいな描写もある。

 

ゴーギャンみたいだったり、ディエゴみたいだったり、マティスみたいだったりした。

 

こういうアート作品はプロパガンダの意図が強い。

輝かしい未来世界のために手を取り合って働きましょう!みたいな。

 

足元。ガラスの破片だらけ。

 

歩くたびに、踏みつけたガラスがメリメリ悲鳴を上げる。

ここでのサンダルはほんとにあり得ないな。

 

このゴムの長細いのはなんだ?

 

さっきの絵の前だけど、床突き破って木が生えてるのがなんかすっごいなぁって

 

再び教室みたいな所。さっきとは別のね。

なぜか椅子が三つだけ残ってるんだが、やらせかな?意図は不明。

 

小部屋。

なんか事務室?

 

драматургия
ドラマツルギー (Dramaturgy) だ。

演劇論か、それから生じた社会学か、わかんないけど、この場所柄からは、演劇論の教科書かな?

 

部屋を何部屋も通り過ぎてく。

この建物の構造が全然入ってこない。

 

出た先は体育館みたいな所。

 

ここからは有名なプリピャチの観覧車が見えるぜ。

 

おお、よくサビてるわ。

あとであそこにも行きます。

 

反対側から見る体育館。

在りし日に思いをはぐらせる、とか、そんなくさい事は書きたくないけど、事故前は活気があったのかなぁって考えるとちょっと切ない。

 

感傷に浸っていたので、他の人たちから取り残される。

 

プールだ。

プリピャチには有名でもっとでかいプールがあるけれど、ここはそれをは違う。

この建物内のプールは 25 メートルが 3 コースで狭い。

有名なプールはこの日後から行ったので、そこで書く。

 

プールって維持するのに結構なコストがかかるらしいね。

ジムでもお金がかかるポイントって聞いたわ。

 

落書きはなんだあれ。

 

真新しいな。

夜中に潜入して書いたりするのかなあ

こういうのやめてほしいわ

 

リングがあった。

リングなのに、なぜか新体操のあん馬もあったり。

あん馬は他から持ってこられたのかな。

リングはヒョードルみたいな屈強な男が格闘技やってたに違いない。

 

どんだけ広いんだ。。。

リングのあった部屋から外を見たわけだけど、向こうの建物にもホテル・ポリシアって書いてある。

 

地図を自分も見直したんだけど、ああ、自分は文化センターの方にいるんだなってわかった。

 

外でた。

この建物の二階がさっきの体育館。

 

この建物、在りし日の姿が結構ネットに出回ってる。

例えば、このサイトとか。

Дворец культуры «Энергетик»

 

雪の日のどこかの家族の記念写真が切ないな。

記念に撮ったこの場所はもうこんな有様。

せめて生き残っていてほしいけれど。

 

それと、さっき見かけた肖像画がこの建物の正面に並んで飾られてるのも、いかにもソビエトっぽいなって思った。

 

 

とこで、ここで、我々、ツアー参加者 4 人がガイドや他の参加者から完全にはぐれてしまった。

まじか。

ガイドのペースが速すぎる事が問題だ。

ペースについては超不満が募る。

 

こんな汚染されたゴーストタウンで置いてけぼりとか、勘弁してほしい。

ただ、自分一人だったならまだしも、僕らも 4 人いるのが心強い。

一緒にいたのは、フイルムカメラで撮影してるカナダ人とフィンランド人のカップルとか。

カナダ人はなんと笛を持っていて、笛をピーピー吹いて呼びかける。

街の木々はとても鬱蒼と生い茂っていて、全然見通しが悪い。

 

そうこうしている内に 4 人でみんなを探しながら遊園地についてしまった。

 

遊園地

プリピャチ遊園地でひときわ目立つ観覧車。

ゴーストタウン:プリピャチのシンボルのようになっていて、「プリピャチの写真」っていうと大体この観覧車辺りになる事が多い。

なお、この遊園地は開園を直前に控えた状態であの事故が起こったものだから、一度も営業稼働しなかったという、悲しい逸話が。

 

ここで、ツアー参加者の残りに出会った。

ガイドは?と聞くと、僕らを探しに戻っていったとある。

僕らは、下手に探しに行かないほうが良いという結論になり、ガイドの戻りを待った。

 

ちょっと見て回る。

観覧車のコンテナ。

ゴンドラの床は高レベルに汚染された雨水がたまってるだったな。

 

トルクメニスタンのガイドにこの写真を見せた時、これはソ連時代に大量に造られたもので、ソ連圏には完全に同じデザインの観覧車があっちこっちにあったとの事。

トルクメニスタンの首都:アシガバートにもあったらしいが、もう今は取り壊されたらしい。

 

フルシチョフ時代の思想なのか、主にコスト削減の目的で、当時のソ連ではありとあらゆるものが大量に同じデザインで造られたという。

長靴ですら左右が無いものが出回っていたらしいじゃないか。

 

ブランコが回転するやつ。

そういえば、ここウクライナに来る前、7 月にハバロフスクへ行った時にも、アムール川沿いに遊園地があって、これが人気アトラクションだったの思い出した。

さすがにデザインはもっと新しいけど。


ここでガイド登場。ぼくらを探しに戻っていたらしい。

「じゃあ行こうか」って話になり、移動がはじまる。

まじかよ、ちゃんと遊園地見れてないよ!

他にゴーカートとかあったはずなのに、それを見ずに行ってしまうのかよ!

 

ただ、もう二度とはぐれるの禁止で、分かれ道等で自分の後ろより後続にツアー参加者がいる場合には、付いてきてるか見届けてから移動するっていうルールが急ごしらえで作られる。

 

結局遊園地の見物は不満が残ってしまった。

後ろ髪ひかれる思いで観覧車から遠ざかる。

ダレカタスケテー

 

 

次回

スタジアム、高層マンション登頂等。

 

 

サムネイル対策用

 

 

 

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四号炉前、未完成五号炉、退廃の町、巨大ナマズ - チェルノブイリツアー

チェルノブイリ原子力発電所 事故のあった四号炉前 (The Chernobyl Nuclear Power Plant / Чорнобильська атомна електростанція) Reactor No. 4

 

 

近況、この前、Blade Runner 2049 観てきた。

評価に関しては難しい。カオスな都市の描写が控えめだと思ったけれど、それこそリドリー・スコットの意向らしいし。

続編として無難かなー

3 時間もあって長いなー

とか思った。

 

それと、年末年始の旅はようやく決まった。

せめて行った事のない国と思っていたけれど、なかなか休み取れる事が確定しなかったので、まともな航空券がなかなか無い。

そんな中、ラオスに行く事にした。

日本からは比較的行く人が多いのに、自分はまだ行ったことない、

フライト時間や金額が現実的な航空券を探した結果、そうなった、

あんませかせかした旅は控えたい、等で決まった。

まぁ、ラオスにそれほど興味があるわけでもないんだけど、無難にだらだら出来そう。

 

 

 

本編。

記事タイトルは欲張りすぎだって自覚。

なにせ、二日間のツアーだから。

いろいろ細かく回って、いろいろ見聞した結果と思ってください。

 

運河からの眺望

コパチ村の幼稚園を散策した後は、いよいよチェルノブイリ原子力発電所の四号炉の手前まで行く事になる。

地図は、以下二点になるんだけど、見ての通りで一号炉から四号炉とその周辺までしか確認出来ない。

 

Chernoibyl Nuclear Power Plant

 

Chernoibyl Nuclear Power Plant

 

実際、もうちょっと広域で観光しているので、以降 Google Map で補完しながら説明してみる。

 

チェルノブイリ原子力発電所四号炉が近づいた。

運河沿いの場所でウチラのバスは停まった。

バスを降りて写真を撮っていいと。

 

道路沿い。

結構トラックの行き来が盛んだ。

死の世界とか等は程遠い。

かなりせかせかした世界。

 

とか、いいながら、ちょっとトイレ。。。

 

道路渡った。

立ちションはこんな茂みですればいいんだけど、露骨に向こうには放射線マークの看板が刺さってて、こんな所で立ちションしてどうかならんか心配してしまう。

 

ほら、ミミズにションベンかけたら腫れるっていう迷信あるじゃん?あんな感じで。

あれってなんだろうなー

ションベンによりミミズから出る有害な気体で皮膚が爛れるとか?

 

ウチラのバス。

往来する車はかなり飛ばしてるから、横断も気を付けないとアブナイアブナイ

 

運河沿いからは四号炉の石棺が良く見えるわ

 

そのずぐに左には新シェルター。

2016 年 9 月の段階でほぼ完成していた。

まだ四号炉を覆っていなかったのはナイスタイミングだったわ。

 

四号炉の石棺より右には一号炉や二号炉が見える。

あーあの中を見学するツアーに参加したいわー

 

でも、やっぱり四号炉の圧倒的存在感。

もともと一号炉や二号炉と比べて不揃いに大きかったんだろうな。

 

未完成五号炉と六号炉

他に運河沿いから見えるもの

 

Google Map で座標 51°23'16.9"N 30°06'42.2"E 辺りの航空写真をやや広域で見てほしいのだけど、この一号炉〜四号炉までの複合施設とは別に運河を挟んで南東部に森林が広がっていて、その中にもなにやら建造物が見える。

 

それが〜

 

じゃん、これがその未完成の五号炉。(The unfinished Chernobyl Reactor 5)

 

ガイドの話では五号炉はほぼ完成していたのに、四号炉の事故の影響で稼働することはなく、そのまま錆付いて今に至る。

 

ほんとに完成?まだまだ建設中に見えるけどね。

剥き出しの鉄の錆付き具合がなかなか見応えがある。

あの問題作:ヱヴァンゲリオンQ の世界観みたいだと思った。
 

さらに東の敷地にも未完成の六号炉があるんだけど、六号炉はベースメントのみ造られた所だったため、建物としては存在しない。

広大な敷地のみ航空写真で確認出来るくらい。

座標はたぶん 51°22'42.0"N 30°07'39.7"E これだ。

五号炉、六号炉とじゃんじゃん出てくるのも新ヱヴァっぽいな (自分だけですか?そうですか)

 

さらに東には冷却塔 (The vast cooling tower of Reactor 5) がある。ここもすっごい見応えあったところ。

座標は 51°22'38.8"N 30°07'57.9"E

これは翌日に訪問するので、今は掘り下げない。

 

運河の巨大ナマズと噂

 

一号炉の真横のあたりまで来た。

座標では 51°23'17.6"N 30°06'47.1"E 辺りだな。

ここには運河をまたぐ鉄橋があって、その鉄橋には線路がかかってる。

 

それほど老朽化していないところから見ると、今でも時々運搬用に使っているのかもしれない。

 

僕ら、この鉄橋を途中まで歩いていいってさ。

 

運河には魚が大量に泳いでた。

 

見ての通りだけど、超巨大なナマズが何匹も泳いでる。

これが昔のにちゃんねるでも話に挙がったやつだな。

2009 年の 2ch のスレッド "チェルノブイリ原発に旅行で行ってきたけど何か質問ある?" の 263 だ。

 

> 263 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2009/12/03(木) 21:36:30.58 ID:gHme5gHU0 
> どっかのサイトに巨大ナマズが泳ぐ川が観光名所になってるって 
> 書いてあったんだが何処のことなんだろうな 

> >>263 
> その噂は、チェルノブイリの付近に冷却水で使う、池があるんですが 
> そこでは、事故前から大きい魚が取れると、地元でも評判のスポットでしたので 
> そこから噂が一人歩きしてるんじゃないですかね? 
> ただ、自分でもこれはなんともいえないですね 

 

これの真実は上のナマズと思われ。

 

確かにね、気持ち悪いと思えるくらい大きい。

 

周りの魚を一緒に撮れば大きさがわかるかな?

 

このナマズは放射能の影響で巨大化したとかいう噂もあったので、ガイドに聞いてみた。

ガイドによれば、この辺のナマズはもともとこれくらいの大きさになるのであって、放射能関係ないってさ。

 

そういうガイドは昼食で出た黒パンを持ってきていた。

それをちぎって魚に向かって撒いてた。

そのせいでじゃんじゃん魚が寄ってくる。

 

真実はそんなにドラマチックでも悲劇的でもない。

とはいえ、汚染されているのは変わりなく、こいつを食すのはさずがにやばいだろうな。

 

鉄橋からみる一号炉付近。

煙突が味気ない。

 

鉄橋を渡った所にある建物。

原発の真ん前なんだけど、凄く人の出入りが激しい建物がある。

翌日にはここに入って昼食を食べたりした。

 

っていうか、上の建物からこの鉄橋を渡って原発方面へ徒歩で出入りする職員の多い事。

拍子抜けするくらい活気がある。

 

鉄橋から戻ってきた。

実は、この鉄橋の前に "プロメテウスの火" (Prometheus Stealing Fire) の彫刻があるのだけど、なんということか撮り忘れしまった。

この像はもともとプリピャチの町のセントラルにあったものを事故の後にここへ移動したらしい。

エレナのサイトに写真あるから見てみてください。

 

自分はキリスト教と同様にギリシャ神話にも疎いので、よくは知らない。

Google 先生によれば、プロメテウスは 神" から火を取り戻して人類に与え、人間はそれで発展出来た一方で戦争等の禍の元にもなってしまった、みたいな?

チェルノブイリタウンにあったヨハネの黙示録のニカヨモギの天使同様に、プロメテウスもチェルノブイリにとてもマッチしてると思う。

 

スラブチッチと Semykhody Station

鉄橋からバスでまた移動。

この記事の上の方にある地図を見てもらうとわかるんだけど、四号炉のビューポイントに行くには、施設を大きく上から迂回しなければならない仕組み。

なぜか知らんが。

 

その道中には、鉄道駅 Semykhody Station の近くを通ったはずだけど、ガイドは特に触れなかった。

座標は 51°23'44.2"N 30°06'22.8"E ここ。

 

鉄道駅 Semykhody Station は、ヤノフ鉄道駅 Yaniv railway station (Янів) とは異なり、従業員が今でもバリバリ使ってる従業員専用の駅だ。

この駅に行ってみたかったんだけどな。

 

この鉄道駅は、スラブチッチ Slavutych (Славу́тич) っていう町からの通勤用の駅。

列車で一時間。

スラブチッチはチェルノブイリタウン同様、事故後に造られた従業員向けの町だ。

観光という体で個人的に訪問可能か気になる町だわ。

 

スラブチッチの座標は 51°31'20.8"N 30°44'40.1"E 

あれ?これっていったんベラルーシ領土通ってない?特別許されてるのかな?

 

2017/11/06 追記

そういえば、この Semykhody Station までの鉄道風景を撮影した動画が YouTube にあったんだった。

 

まず、これ。

Поезд на ЧАЭС / Train to ChNPP

 

アンビエントな BGM が良い雰囲気作ってる。

観てみると、車窓の景色は、緑豊かな森林地帯を走る。

段々上の冷却棟や未完成五号炉なんかが見えて、新シェルターなんかがだんだん大きくなった後、停車する。

駅構内が写っていないのだけど、消去法で停まった場所は Semykhody Station と思う。

 

こっちはもっと説明的。

鉄道で向かっていて、最後完全に Semykhody Station と見分けられる場所で停まる。

わかりやすさはこっちか。(情緒的に観たいのなら上の動画がお勧め)

 

В кабине машиниста в Чернобыльскую Зону. Сталк с МШ / In machinist cabin to Chernobyl zone

 

あと、

興味深いブログ見つけた。

チェルノブイリのかつての子どもたちの現在。原発事故から30年、彼らが生きるのは“チェルノブイリが生んだ町”スラブチッチ

勝手にリンクしてしまったけれども大丈夫かな?

 

ブログ読んで思ったのは、そこでの生活は刹那的で退廃的な感じ。

でも、酒を飲む以外にやる事がないってのは、どこの国の田舎でも、よくある話かもとも思った。

 

四号炉前

 

今度こそ四号炉のビューポイント。

 

はい、来た。

道路の真ん中に小さな広場があって、そこに彫刻があるんだよ。

他の人はどうか知らないけれど、自分はかなりテンション上がった。

ここがあの有名なポイントか!ってね。

 

ツアー参加者はこのビューポイントからほとんど定点で四号炉を眺めるようになっていて、あんま勝手に近づいたりグループから離れたりしちゃいけない。

 

ならば、出来る限りの事はする。

ズーーム!

石棺は生々しい錆がどこまでも非情な感じ。

この記事書いた今日の今頃はもう新シェルターで覆われてしまって、もうこの石棺は見ることが出来ないんだろうな。

 

ああいうつなぎ目がだんだん弱くなってそこから大気中にどんどん漏れ始めてるのか?

 

ここは入り口かね。

ドアは固く閉ざされている。

使われてるの?使ってるんだろうなぁ

使っていなけりゃ、もっと朽ち果ててるはず。

 

視線ももうちょっと左に。

「特に何もないです!」

 

警備員?が通り過ぎる。

こういうの撮っちゃダメっていわれたでしょ?

いえ、僕は、四号炉を撮っただけです。

他には意図していません。

新シェルター

他、ここで出来ること。せいぜい新造のシェルターの方に目を向けるとか。

そこに従業員が9人くらいいるじゃん?

たばこ吸うためにあそこにいるんだぜ。

四号炉手前でシンジランナイ

 

この新シェルター New Safe Confinement  (Новый безопасный конфайнмент) は、フランスの建設会社 Novarka が造ってるとの事。

お金の出どころはヨーロッパの基金らしい。

ガイドはオランダの企業とか言ってたけどなぁ

どこで間違っているんだ。。。

 

これで 100 年はもつらしいので、100 年以内にはもうちょっと廃炉に向けて進んでいるといいですね。

福島はどうなってるんだか。。。

 

彫刻と線量について

広場にある彫刻について。

 

新シェルター建設開始の記念碑のようだな。

建設が始まったことが誇らしいと。

2006 年 11 月 30 日。

 

この彫刻、ガイドの英語で石の種類を説明していた。自分はその英単語を自分が知らなったので、聞き取れなかった。

なので石の種類がわからないけれど、少なくとも理解できたのは、この石が放射線をかなり遮断する事ができるって事。

彫刻の所にガイガーカウンター ベータ線のタイプとガンマ線のタイプを並べる。

一時間あたり、1マイクロシーベルト (μSv) 。

 

一時間当たり 4 マイクロシーベルト (μSv) なので、石が大体 1/4 にしたって事だね。

いずれにしても、それほど高いわけではないね、たぶん

大気中はそんなでもないって事かね?

 

ここに興味深い動画がある。下にリンクした YouTube の動画。

5:32 がここチェルノブイリ原子力発電所四号炉前で、6:33 から福島制限区域内。

最初の方に出てくる、バナナを一本食べると、0.1 マイクロシーベルト被曝するくだりが大分面白く、つかみはおっけー。

 

The Most Radioactive Places on Earth

https://www.youtube.com/watch?v=TRL7o2kPqw0

 

以前にも書いたんだけど、福島の制限区域内で一時間当たり 10 マイクロシーベルト (μSv) なので、大気中に関して言えば、現在のチェルノブイリ四号炉前より、福島制限区域内の方が高レベルって事になる。

 

ま、この動画では、Fukushima の後、プリピャチ病院地下で恐ろしい線量を観測するわけだけど。

 

 

次回はプリピャチの町かな

 

サムネイル用

 

 

 

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コパチ村の幼稚園 - チェルノブイリツアー

コパチ村の幼稚園の庭に落ちているビニール製の人形

 

 

先に近況報告。
9 月にコーカサスへ行った。

 

もうね、いろいろあったよ。
ジョージア出国してアブハジア入国する際、ジョージア側で 5 時間待たされたり、
ナゴルノ・カラバフのアグダムで無事モスクのミナレットには登れたものの、警察 (軍人?) にっとっつかまって、アグダムの写真消されかけたりした。

アブハジア スクミの旧国会議事堂の廃墟もすごいな。頑張って屋上まで登ったわ。

 

そういうきな臭い場所ばかりではなく、

スクミは廃墟以外にも普通にローカルなリゾートタウンといった装いで、特に海岸沿いの開けた感じが楽したった。

 

ウシュグリは山が超絶景だったなぁ
メスティアから日帰りで行ったけど、今度はウシュグリ泊でまた行ってみたい。

ジョージアは全体的にまだまだ見どころ沢山あるし、見たりないな。

スマホで撮影したクオリティでよければ、それらの写真は Facebook とインスタにアップしたので、見てみてください。
ナゴルノ・カラバフのアグダムやシューシ、アブハジアのスクミ旧国会議事堂等の写真も載せてますよ。

 

で、

本編。

 

 

コパチ村へ

チェルノブイリタウンを離れて北上。
ミニバスの車内でガイドが急にカウントダウンを初めて、それが 0 になった時、前方の車窓に大きな建造物が見えた。
 

銀色の大きなやつ。

あれがチェルノブイリ原子力発電所 (The Chernobyl Nuclear Power Plant) の四号炉を覆う予定の新シェルターだ。 

したがって、あの真下がまさに事故のあった四号炉だ。

やっと来たね。

キエフから結構距離あったと感じる。

 

ツアーではこのまま四号炉へ向かうのではなく、もう一か所立ち寄る所がある。

それが今回のコパチ村 Kopachi village (Копачі) 

事故前までは約 1100 人の村人が居住していたらしい。

 

前に貼ったチェルノブイリの地図の中には コパチ村の地図の pdf もある。
これら地図からは、前回の Zalissya 村と同様、村の全体を俯瞰出来る。
 
Chernobyl Maps
http://www.chernobylmaps.com/

 

これと、
Kopachi
http://www.chernobylmaps.com/wp-content/uploads/2014/01/KOPACHI_CMCC.pdf

 

これ、
Kopachi
http://www.chernobylmaps.com/wp-content/uploads/2014/01/KOPACHI_CM.pdf


ツアーで立ち寄った時、結構幹線道路からすぐに幼稚園があって、その後ろが森が深くなって立ち入りが難しそうだったけれど、ウチラが歩いたのって、村のほんの一部だなって実感。

 

そもそも幼稚園がこの規模の村なのに二か所あったみたいだし。
村の敷地って結構広い。

それに大部分が森やらその他自然に還ってしまったみたい。

高レベルな汚染でほとんどが人為的に埋められてしまったとの事。

この幼稚園はその中の「例外」だね。

 

幼稚園

ブリキ?のトラックが入り口に置いてある。

 

立ち寄った幼稚園は、前述のとおり幹線道路から近くてアクセスが良い事や建物自体の保存状態等が理由なのか、チェルノブイリ観光の定番スポットだ。


チェルノブイリのツアーに参加すると大抵はここに立ち寄るはず。
事故で廃墟になった幼稚園という事で、いろいろ見て事故当時を想像すると悲しい気分にもなるのだけど、同時に観光客向けの演出されたらしき部分もあって、ちょっと複雑な気分。

 

ガイガーカウンター

ガイドの言った事を記憶をたどりにトレースすると、ガイガーカウンターにもいろいろ種類があるらしい。

これはベータ線 (β線) を測定するタイプらしい。

 

こっちがガンマ線を計るタイプかな?(一つ上の写真とは異なるガイガーカウンターなのわかります?ラベルの位置とか)

コンクリートの上から砂の上にガイガーカウンターを移動した瞬間、一気に数値が上がる。って説明したかったんだけど、一つ上の写真のガイガーカウンターが、ベータ線でこっちがガンマ線のタイプになっていて、なんということか、比較になっていないという。

 

ちょっと行ってから大分日が経ってしまっていて、見方がうろ覚えなんだけど、記憶が確かなら、一時間あたり 13.7 uSv (マイクロシーベルト) っていう計測結果と思われる。(識者の方、間違ってます?)

 

幼稚園の敷地入り口から建物に向かう途中に落ちてるビニール製の人形。

両手と片足が無いわけだけど、観光客向けの演出くさい。

 

80 年代の事故で 30 年経ってる。

30 年間ここにこういう姿でここに置かれているとは考えにくい。

観光客向けに、誰かが意図的に腕をちぎってここに置いたんじゃないかと思ってしまう。

 

幼稚園の入り口。

立派な建物だな。

Zalissya村 の役場の建物並みに大きくてしっかりしてる。

 

他のツアー参加者とともに潜入。

 

掲示板のマトリョーシカにいろいろ想像を掻き立てられる。

当時は掲示板を彩る飾りとして、先生なりが貼ったものだと思う。

なんていうか、、、子供向けの優しい気配りみたいなのが、事故で台無しになってる。

説明が難しいのだけど、そういう非情な感じ。

 

放射能汚染って、大人より子供が被害を受けやすいはず。

甲状腺ガンとかさ。

ここに通っていた園児たちは、健康な大人になれたのかな?

 

掲示板に書いてある文字:РОДИТЕЛЬСКИИ ЧГОЛОК を Google 翻訳で訳してみると PARENTAL PARENTS "親の親" になったけど、正しいですか?

よくわからないけど、各張り紙は父兄向けの連絡事項が書かれているって事かな。

子供を迎えに来た親御さんがここで足を止めて連絡事項を読んだ時代もあったんだろなぁ

 

玄関付近には下駄箱かロッカーかわからないけれど、そんな感じのものがある。

でさ、思うわけだ。

座っているビニール製の人形とか立てかけられてる大きな本が、事故当時の様子を留めているのじゃなくて、観光客向けに "展示" されているんじゃないかってね。

さっきも書いたけれど、30 年このままって不自然だ。

 

ノートが落ちてる。日記かな?

ガイドからはこういうの汚染されているから絶対に持って帰るなって。

 

ちなみに、このチェルノブイリには幼稚園の先生が書いた「予期せぬ事態により、土曜日の遠足は中止になりました」っていう非常に悲しい事でちょっと有名な日記が残っているのだけど、その幼稚園についてエレナのサイトを確認してたら、どうやらその日記が残っていたのはこのコパチ村の幼稚園ではなく、プリピャチの町の中の幼稚園らしい。

 

> a teacher's diary, and a last note saying that their walk on Saturday has been canceled due to some unforeseen contingency.

 

ここでまたエレナのサイトを確認。。。と思ってちょっと前に URL 叩いてみたらメンテナンス中になってた。
このまま消えてなくなってしまわないか心配したけど、復活してくれて嬉しいわ。


   

 

小さなベッドが並んでる。

自分幼稚園行ってた時、幼稚園では寝る習慣ってなかったね。

人形、ここでも座っているのは演出だろうな。

 

昼寝タイムとかあるのって日本じゃ保育園のイメージ。

 

ま、ここは他国だから、なおさら幼稚園で寝る時間があっても全然不思議じゃないけどさ。

部屋は沢山あるけど、あっちこっちの部屋にベッドがあるよ。

 

ここはたぶんトイレ。

トイレ部屋になぜかロッカーが移動してる。

もしかして観光客にトイレを使わせないようにしてる?

とか、もはやいろいろ勘ぐってしまう。

 

なんか真新しい落書きが。

 

ЧОЧО! ПЫЩЫ

 

翻訳サイトにかけてみたけど、よくわからん。"チーズの目的"?"安い購入"?

だれか〜〜〜

 

朽ち果てたライオンのぬいぐるみ。

これはちょっと、、、個人的にはたとえ演出が入っているとしても、ビニールの人形たちより悲しい気分になるわ。

なんでだろ、座らされていないから?

人形って、当時これで遊んでた子供たちが確実にいて、あの時、確実にどっかへ避難していったわけでしょう。

 

オサナゴがさぁ

やり切れないね

 

これは本棚だな。

本が散乱しているし、幼稚園内の図書室か、職員室かな。

 

ああ、この部屋のベッドは二段ベッドだから、さっきの部屋より収容数が多そう。

 

こういうの見てると、不謹慎だけどホラーゲームを思い出すよ。

バイオハザードみたいなパニックものじゃなくて、プレイステーションで出てたサイレントヒル の初代みたいなどんより系のやつ。

前半に主人公が小学校を訪れるんだけど、そんな感じ。

もちろんここではクリーチャーやイベント一切ない無いけどね

 

ここにも人形が

目が赤い。「すごーい。キミは目が赤いフレンズなんだね〜」

 

首切られた人形。

不気味ではあるけれど、"演出" と "展示" が興覚めするレベル。

 

おおお!

これは昭和時代にあったママレンジにそっくりだ。

共産圏版ママレンジか?

これはちょっと興味深い "展示" だ。

 

楽譜が散乱。

 

Песенка ПетуШки

翻訳サイトにかけてみると、"Song of Petushki" (ペトルーシカの曲) となった。

多分この歌の楽譜じゃないかな?

幼稚園児が歌うにしては難しいな。

 

ペトルーシカの説明はたぶんコレだ。子供向けの人形劇ってことかね。

在りし日はこれを先生がオルガンで弾いて子供が歌ってた。

そんなある日、例の事故でみんな急いで避難。

悲しいでしょ

 

どこもかしも、幼稚園と事故のコントラストが強すぎ。

 

こんな過去の遺物を見て悲しくなるのはポンペイの人型石膏以来じゃないかな。

ブドウ畑の前にある、苦しむ家族を無念そうに見守りながら自分も死んでいったってやつ。

自分のブログではこれ

 

そろそろオイトマ。

この幼稚園は前回の村役場より足場がしっかりしていて歩いてて安心出来るわ。

でも、、、いつまでもつかな。(行きたい人は早めに行ったほうがいいよ、ほんと)

 

表の表札にあたるもの。

ごめん、ロシア語をインストールしていない状況下で翻訳するの大変過ぎ。

後日やります。

 

ブリキのトラックの所に帰ってきた。

 

ああ、こんな所にもママレンジが!

ここで遊んだ子、さてはアウトドア派だな?

 

タイヤの跳び箱?

これはうちの小学校にもあったな。

万国共通かね

ちなみにガイドが「あっちの方は汚染がやばいんで行くな」って釘さしてた。

 

幹線道路沿いにあるスタチュー

Wikipedia では、"World War II Memorial" となっている。

人型見る限り、第二次世界大戦慰霊碑っぽくはないな。

 

コパチ村総括

総括するほど大げさなもんじゃないけれど、コパチ村は日帰りツアー客も訪れる観光スポットで、観光客向けの演出がちょっと酷いと思った。

チェルノブイリ日帰りツアーでこういうスポットをダイジェストで見せられたら、「期待外れだった」っていう感想持っても不思議ではないな。

でもさ、そういう演出を差し引いても、子供達が居た場所が事故で無残にも朽ち果ててる様子を見ると、とても悲しい気分にはなった。

そうやって思えるだけ、この村に立ち寄れて良かった。

 

 

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次回はたぶん四号炉前までかな

 

 

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チェルノブイリタウンとチェルノブイリポート

チェルノブイタウン (Chernobyl Town)  Чорнобиль 入り口

 


いやはや更新が滞っていて申し訳ない。
5 月後半から忙しかった、
PC 壊れた、スマホを買い替えた等が主な原因だな

 

仕事は先行きよくわからん所があるけれど、取り合えず落ち着いたし、PC は BTO で買いなおしたし、データのサルベージも終わった。

前は Adobe Creative Suite 3 を使っていたんだけど、そのメディアがどっかいったので、Photoshop Elements 15 も買ってきた。
最新の CPU にしたら超高くついたわ。そんなこだわらず出来合いのやつにすればよかった。
スマホは 4 年位前にネパール行ったタイミングで買った骨董アンドロイドだったものを sim フリーの iPhoneSE にした。
また、忙しい忙しいと言いつつも、ポケモン GO にはハマってしまい、それに割いてる時間もかなりのもんだった。

 

旅行の予定としては、9 月にコーカサスへ行く。

旅程を書いてみたので、見てみてください。

 

コーカサス地方 超圧縮弾丸旅


コーカサスと言っても、いろいろな独立国やロシア領内に共和国があるわけだけど、今回はアゼルバイジャン、ジョージア、アルメニアの三ヵ国に、未承認国家のアブハジアとナゴルノ・カラバフにも行く。
夏休みとしては大分長めだけど、計5カ国日数的には足りないので、言わずもがな超圧縮弾丸旅です。
端的に言えば、普通このアゼルバイジャン、ジョージア、アルメニアの三ヵ国を回る時、は大抵陸路で国境を越えるけれど、自分の旅程では、首都と首都をすべて空路で移動する。


"圧縮" というテーマを最も端的に表しているのは、9/18 で、一日の間にジョージアの山の中:メスティアから首都のトビリシへ空路 (Vanilla sky) で戻り、アルメニアのエレバンへもう一回空路、そして、アルメニア南部のゴリスまで陸路移動するというね。
フライトスケジュール的に可能なはずだけど、机上の空論になってしまっていないか心配。

 

あと、こだわりは未承認国家の二カ国訪問かね
この係争地の二カ国、他の観光スポットや都市より優先して行くわけだけど、チェルノブイリ訪問が印象深かったり、板門店も印象ぶかかったり、あと、あっちこっちスラムになんとかして行きたがる自分の傾向、趣向からすれば自然な流れだな。
特にナゴルノ・カラバフのアグダム訪問に成功すれば良いなと思う。

ちょっと青臭くて恥ずかしいのだけど、現状はそういうのにひかれるのは確かなので、仕方ないね。

 

 2017/09/07 追記:9/6 に確認した結果、メスティアから首都のトビリシへ空路がリコンファームしたら午後便になっていたため、再調整。アブハジア滞在を一日削ってメスティア滞在を一日ずつ前倒し、その後、Vanilla sky のフライトを 9/17 に無理矢理変更してもらった。

また、アブハジアのエントリー・パーミットが届かない件で、メール、メッセンジャー、ロシア語話せないのに国際電話等取れる手段をすべて駆使してやっとエントリー・パーミット入手成功。

催促した後、エントリー・パーミットのメールの後に受領メールが届いた所から、おそらく申請は見逃されていて、催促の後にものの 30 分位の間に対応したに違いないわ。

怖いわ。


 

ではブログの続きを書いてみる。

半分、リハビリだな。Photoshop の UI もかなり変わってしまったので、慣れるのが大変だ。

 

記事内容も自分でも忘れかけていたた。

前回の自分の記事を読み直すと、チェックポイントから Zalissya 村を散策した所までだった。
そうすると、次に行くのはチェルノブイリタウンだ。

チェルノブイリの町の入り口には大きなサインがある。

それがこのブログの一番上の写真だ。

 

チェルノブイリタウン

 

上の写真の反対側。

入り口で振り向けば、野良犬なのか飼い犬なのかわからん犬が沢山。

たぶん飼われてると思われ。

 

タウンの中に入ってきた。

これは制限区域の形をした、なんていうか簡素なジオラマのようなものか。

 

この、チェルノブイリタウンは事故のあった 四号炉からは 30km 離れた所。

ガイドの話によれば、この "チェルノブイリ" の名前をいただいた町は、チェルノブイリ原発事故の後から造られた町だ。
もちろん、事故前の拠点はかの有名なプリピャチ (四号炉から 10km) で、そこが汚染で使えなくなったから、30km 離れた所に拠点を造り直す必要があったらしい。

 

このチェルノブイリタウンは、本当に原発関係者の居住スペースになっていて生活に必要なものはある程度揃っている感じ。
雑貨屋やカフェテリア、食堂、飲み屋等、ささやかながらある。
我々二日間ツアー参加者はここのホテルに滞在することになる。

 

その他特徴としては、建物が全体的にしょぼいこと。
頑丈に造られていないような。

後述の理由で地面をあまり掘れないせいとか、あるかも。
それでも、広々した敷地のすべてによく手入れが行き届いていて、まるで大学都市みたいだ。

 

ニカヨモギの天使

 

これは "Wormwood Angel memorial" っていうモニュメント。

チェルノブイリの町にはモニュメントが多い。

 

Wormwood はニカヨモギの事らしい。

チェルノブイリもニカヨモギの事だから、チェルノブイリの天使って事か。

 

自分は無宗教だけど、これについて調べると聖書からの引用って事がわかる。

中二病御用達 新約聖書・ヨハネの黙示録(8章、10-11)にそれはあって、まぁ三番目の天使がラッパ吹いて起こった大災害が、チェルノブイリ原発事故そのものみたいな。

つまり、聖書で予言されていた事故だと。

 

> 「第三の御使がラッパを吹き鳴らすと、苦よもぎというたいまつのように燃えている大きな星が落ちて、水の3分の1が苦くなり、そのため多くの人が死ぬという預言

 

このことはエレナのサイトでも見かけた気がするのだけど、今読んでみたらすぐ出てこなかった。

 

 

2017/09/07 追記。

エレナのサイト内で、該当箇所を見つけた。

これです。

 

> Another interesting detail, the alternate meaning of "wormwood" for the word "Chernobyl" has now mysteriously disappeared from our dictionaries. Such is the policy of our government. In order to suppress apocalyptic moods and to build more reactors, they have removed this word from dictionaries. I doubt, they will succeed in erasing this episode from our memory, word is still in everyday use and we all know that not all governments of the world, not even their rich patrons from almighty atomic industry, can remove verses from Bible.

 

もうちょっと、明確に書かれていた気がしたんだけど、そうではないらしいな。

 

2017/11/23 追記

エレナの記事でもっと明確にこのヨハネの黙示録の天使について書かれた箇所を確認した。

実は、最近ついに上の本を自分でも買ったのだけど、日本語で書かれていてようやくスムーズに知った。

このエレナの旅行記では序盤、ほとんどプロローグに相当する部分に書かれていた。

サイトのリンクをまた貼ろうとしたのだけど、なぜか再びメンテナンス中で今日現在閲覧出来ない。

こんな頻繁にメンテナンスやってて、そろそろ本当にサイトを閉鎖しないか、心配だ。

 

事故で廃村になった村の数々。

 

看板は続くよ、どこまでも。

 

宿泊施設

 

御覧ください。

こちらがこの町にあるカフェテリア兼レストラン兼、ホテル

僕らツアー客はここに泊まる。

あのドアのあたりでは原発従業員達がたばこ吸ってた。

 

飼い犬。

汚染された所で生まれ育つ事が不憫でならない。

 

こんなん触って大丈夫か心配してしまうが、他のツアー客は普通にじゃれあってた。

 

中入ります。КаФе десятка

えっと、Cafe Desyatka か。直訳すると、"カフェ 10" だね?

何が十 (じゅう) なの?

 

お昼ご飯、現地ツアー代に高い金払ってるだけあって、かなり豪華。

4 人掛けテーブルで、僕はフランス人の夫婦と一緒のテーブルでした。

 

お肉うまいよ、スープも。

ロシア、ウクライナあたりの料理って自分好みだな。

 

表出た所。

ここらでは水道管の類は地下に埋設されておらず、全部地上にむき出し。

 


地面の中は汚染土で一杯なので、掘り返すのが超危険。

それでケア出来なくなるから、こうやって地上に剥き出しの方が良いらしい。


ただ、水道管だかなんだか知らぬが、例えば極東ロシアのハバロフスクに行ってみても、地下は凍結するためか時々パイプラインが外に剥き出しになっていたりするので、この点はあまりスペシャルな気はしないかな。

ってか旧共産圏って割とパイプラインが外出てるよな。

 


ここにもあったか。白光真宏会のポール。
日本の街中でたまに見かけるこれ。


日本語でも書いてあったので、ドイツ人に「なんて書いてあるの?」って聞かれたので、"Pray for peace and for all humankind." みたいな怪しい英語にしてみたら、なんと、ポールの別の面にしっかり英語でも書いてあった。
"May Peace Prevail On Earth" だって。へー 意訳って難しいわ。
それに "Prevail" なんて単語、使いこなせていない。

 

チェルノブイリポート

 

町から北上した先の川沿いにやってきた。

 

ここは有名なチェルノブイリポート。港だね。

 

エレナのサイトにも事故から数年後の古い写真を引用していたので、この風景には見覚えがあった。

 

沢山船が廃棄されているんだけど、昔よりも数が減ってる気がするのだ。

 

さながら船の墓場。(バングラやインドみたいに解体してるわけじゃないけどね)

 

対岸では従業員が釣りしてる。

 

ボロい橋があるんだけど、僕らが対岸に行く事は叶わないみたい。

 

これが橋。ボロいなぁ

 

まさかさ、釣った魚食べてないよなぁ

 

ちょっと離れた所。

ガイドがそろそろいくよ〜とか言ってるけど、無視。

 

いい風景だな。イギリスみたい。

はじめこの写真をトップにしたんだけど、後から町の入り口の写真に変えちゃった。

もう夕方ってのがあるけれど、ちょっと露出がアンダーだな。

せっかくフォトショがあるのだから、暇なときいじってみるか。

 

・・・

 

はい、できた。

色が不自然かな。未熟者ですまぬ。

 

足元。

川原にはタニシが沢山。

 

町から港に向かう道。

 

うちらのミニバスが来ちゃった。

車の所までもどる手間が省けたな。

いいわけしておくと、自分以外にも離れた所で写真撮ってたゲストは何人かいたからね。

 

 

再びチェルノブイリタウン内。

 

消防士のモニュメント

 

消防士のモニュメント。(Monument for the firefighters of the Chernobyl accident)

 

プリピャチの町から消火に駆け付けた消防士たちは、事故直後にお亡くなりになりました。

 

プリピャチの病院地下には彼らが事故当時身に着けていたものが今でも散乱していて、病院地下は超高レベル汚染区域。

 

事故処理ロボット

 

これは事故当時、活躍したロボットの数々。

 

小型の工事車両みたいなニュアンス。

放射能汚染マークの不気味さよ。

 

大した装備もしていなかったリクビダートル (Ликвидатор ; Ликвидаторы Чернобыльской аварии) が臨海戦術で収束作業していたイメージが強くて、こんなロボットが活躍した印象なかったわ。

このリンクの動画でも見てみて。

 

 

今回はここまで。

次回は必ずツアー客が行く幼稚園から。

 

ちょっと今回はリハビリ兼ねているし、控えめのつもりだったけど、制作に時間かかったわ。

それに、チェルノブイリタウン内が絵的にちょっと地味かもな。

ま、翌日もタウン内をちょっと尋ねる機会はあったので、そこで今回とは違う町の様子が紹介出来るかも。

本当は自由に歩いて町の隅々まで散策したかったわ。

 

なお、今度の土曜日からコーカサス行くので、しばらく更新出来ません。

でも、前ほど放置もしません。

やっと更新に必要な環境そろえたし。

生きて帰ってきたら、また更新します。

 

サムネイル用

 

 

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チェックポイント:DytiatkyとZalissya村 - チェルノブイリツアー

Zalissya (Залісся) 村の courthouse (郡庁舎の意味だけど、意訳すれば "村役場" ってことでもいいかね)

 

 # 2017/05/02 メインの PC が壊れました。その PC 内には Photoshop や元画像等があり現状動けない状況です。

新しいPCを購入したら、HDD からデータをサルベージする予定です。

多分、GW 明けまで更新出来ません。

 

 

ブログの更新をしようしようと思って、でも気が乗らず気付いたら大分時間が経ってたという。

前回の続きで、チェルノブイリ・ツアーが始まった所から。

 

 

卵の彫刻

集合場所だったキエフの独立広場から P02 road を北上。

前回の通り、途中ガソリンスタンドに寄ったり。

 

道中、こんな感じ


GoogleMap で距離を測ると キエフから 86.5 Km、座標が 50.950543, 29.881892 の所にロータリー交差点があって、そのロータリーの真ん中にでかい卵の彫刻がある。

ドイツから持ち込まれたもので、ま、卵だけに生命の象徴なんでしょう。イースターの通り。


この彫刻、ツアーでは特に触れられていなかったけれど、エレナのサイトによればここが、現在 (原則) 人が居住している限界になっているらしい。
となると、ここに生命の象徴を置くという行為はとは、なんとも皮肉めいた感じもするけど、置いた人達の思いや願いなんかを強烈に感じたりもする。
なお、ここは通り過ぎただけで、特にガイドからの説明は無かったし、写真を撮るような時間もなかった。
移動中の車内からふとロータリーをみたら、その卵があったっていう確認。
ちょっと触れてくれてもいいのにな。

 

村の跡を示す標識だ。村の名前に入った赤い斜め線が印。

この辺りから、廃村の跡を道沿いに時々見る事になる。

 

Dytiatky (チェックポイント)

チェックポイントに到着。

Dytiatky (Дитятки) っていう所。

 

チェックポイントなので、ここですべての車両は入出をチェックされる。

 

いろいろ説明書きが。

 

この立ち入り禁止区域についての説明。

この立入禁止区域は 1986 年チェルノブイリ原子力発電所の事故の後に設けられたとのこと。
広さは 259837.8 ヘクタールで、ルクセンブルクと同じくらいの面積。

他、チェックポイントが何箇所あるとか、橋が何箇所あるとか、そんな内容。

 

写真もあって、ちょっとテーマパークみたいと思ってしまったのは不謹慎でしょうか。

 

もう一枚、説明の看板があった。

こっちの方が大事な事書かれてる。

動植物を持ち込むな、持ち出すな

あとは服装についてですが、ざっとスキャニングすると、単純な長袖長ズボン、靴以上の装備を求められているようにも見える。

こっちはあまり気にされてないルールのかも。

 

多分、そこのチェックポイントで名簿を見せてる。

 

車両一台ずつの入域なので、結構時間がかかる。

ツアー会社の車が多いけど、若干作業車も混じる。

 

あの人は自分が参加したツアー会社とは別の会社のスタッフ

 

別のツアー会社の参加者達。

ヨーロッパの若者が多い。

バンドマンみたいなイデタチのにいちゃんが何故か多いな。

 

なんか垢抜けない。

完全に偏見だけど、 Wacken Open Air とか観にいってそう。

 

一人一人、名簿とパスポートで名前の照合。

予め申請された名簿と搭乗者を厳重にチェックしてた。

 

全員の照合が完了した車からエリアへ入っていく。

 

自分が参加したツアー会社の日帰りツアー用の方の大型バス

こんなでかいバスを出すほど人気。

 

バス停が。

パブリックのバス走っていても不思議ではない。

 

待っている間、あまりにも暇なので、道路脇から平原を見てる。

こんなのどかで殺風景だけど、放射能汚染されていると考えると不気味にも感じる。

 

こっちが二日ツアー用、つまり、自分が乗ってるミニバス。

やっぱツアーは二日ですよ。

ナンバープレートにウクライナ国旗が描かれている事に後から気付いた。(あたりまえなんだけど)

 

うちらのツアーガイド。

この写真の後、ガイドに注意受けた。

出発前に貰ったリーフレットに従業員を撮るなって書いてあるのに、ふてぶてしく写真撮ってたから。

なので、こんな写真をアップしていると、どっかから怒られる可能性あり。

 

ウチらも他と同様にチェックが終わった後、車に再搭乗。

ポイントを抜けて北上開始。

いよいよ本格的な被災地って事になる。

 

注意事項と免責事項が書かれた紙に全員がサインする。

 

書かれている免責事項が結構恐ろしい。

「私は、高レベルの放射線で将来的に健康に害となり得るエリアに、滞在する事を完全に理解しました。」

直訳するとこんな。

ま、サインしないと先に進めないんだけどさ。

どうなっても自己責任という意識を持っておかないと。

 

そういえば、ソウルから DMZ - 板門店のツアーに参加すると、チェルノブイリとはリスクの種類は異なるけれど、万が一に備えての免責事項にサインさせられたね。

 

Zalissya Village

 

さて、まず我々が向かったのは、Zalissya Village (Залісся) っていう廃村だ。

ウクライナ語で "森の向こう" っていう意味らしいぞ。

 

Zalissya Village (Залісся) 入り口

 

ここは、2days ツアーなら、はじめに訪問する事になる廃墟村。
事故前に約 3000 人が住んでいた定型的な村の一つ。

僕ら以外にはいなかったので、日帰りツアーの場合はここ省略されちゃうんでしょう。

 

前回の記事にある地図のリンクにもこの村の地図があるので、それを見るとわかるのだけど、本来 Zalissya Village は、この道の両側にかなりの広範囲に広がっているんだけど、僕らが立ち寄ったのはこの道一直線のみ。


村には郡庁舎あって、この村に立ち寄るツアーの場合にはその建物がメインの見所になっている。
郡庁舎っていうとなんとももやっとしてしまうんだけど、ようは村役場だ。

そんな見所に国道の一番近い所から真っ直ぐ入っていくっていう手筈だ。

 

ま、そこにたどり着く前に、廃屋も沢山見る事が出来る。

 

じゃんじゃん廃屋あります。

 

置いていかれない程度に自由に入ってよし。

 

しかし、入ったとしても特になんもないし。

どの廃屋も似たようなもんだし。

 

村はこんな風に森の中に埋もれつつあります。

 

もはや、立派な林道。

 

はい、村役場。

他の家より明らかに立派な造り。
この中には立派な講堂が残ってる。

 

近寄る。

 

地面を見ると、ガラスが散乱しててアブナイアブナイ。

 

入り口。

 

なか。

村役場だけあって、さすがになん部屋もあって広い。

壁のタイルに施されたレリーフが不思議な感じ

 

床抜けてるし。

 

反対を向くと、そこが講堂だね。

演劇に最適なミニシアター。整備すれば使えそう。

ソビエト時代の空気が残ってる気がする。

 

灯油入れかなにかかな。

 

抜けた床の部屋を恐る恐る奥まで入ってみた。

怪我しても自己責任なんだろうなぁ

 

壁がボロボロ。

事故当時は黄色に塗られていたんだね。

ほとんど剥がれ落ちて、時間の経過を感じずにはいられない。

 

裏庭に出てみた。

なんかフイルムがあった。

さっきの講堂で映画鑑賞会とかやってたのかもな。

どんな映画だったのか。

きっと退屈な映画だったに違いない。

 

裏側から見ると、レンガ造りなのがわかる。

 

なにやらごちゃごちゃ

 

裏庭にあった納屋みたいな所だな。

 

骨組みがしっかりしていて、事故さえなければ今でも現役で使えてたんだろうな。

 

表玄関に戻る。

ちょっと晴れてきた。

 

建物の上部にはソ連時代のマークが残ってる。1959 年に造られた建物なんだね。

ロゴも年号も、昔のソビエトの威信って感じ。

 

さっきの講堂もそうだけど、在りし日のこの場所の雰囲気とかなんとなく感じられる。

そういう時、他の廃墟とも同じで、なんとも切ない気分になる。

 

さて、戻り。

 

タイヤが棄てられてる。

このタイヤ、事故当時のものか、それとも後から運び込まれたものかわからん。

 

でも、廃車はあっちこっちにある。

 

さっきのタイヤの山はこれら車のものだったのかな。

 

結構保存状態の良い一般住居

 

入ってみよう。

 

うーん、どこも変わらんね。

 

大体同じよ。

抜けた床と、生活ゴミの類と、何に使われていたのかわからない不燃物が散乱してる感じ

 

こういう本の切れ端を見ても、リアルに事故当時のものだね。

 

井戸。

井戸は良くない。

地下水はおそらく毒性高そう。

 

きのこ。

きのこは良くない。

この土地のきのこはセシウムを大量に含んでそう。

 

ホント、普通にどっかの林を歩いているような感覚にもなる。

 

なんか動物の骨。

牛かね。

 

国道から村へ入っていく辺りにある Memorial to fallen countrymen。ようは共同墓地。

この墓地は今でも献花が続いてる。

 

ソビエトのマーク、ここにも。

 

入ってすぐの所にある。大きめの小屋。

用途不明。

学校か、工場か。

 

国道まで戻ってきた。

 

天気がいい。

 

のどかな雰囲気。

でも、場所が場所だけにちょっとその "のどかさ" が怖い。

 

そろそろ出発。

次の目的地へ。

 

Zalissya 村は、村全体は完全な廃墟で自然の中に埋もれつつある感じだった。

廃墟、廃村っていうだけで、そんなに凄いものを見る事が出来るわけでもないけれど、村役場はなかなか立派な建物だったし、ソビエト時代の栄華を感じたような気もしたので、まあなかなか良かったかな。

 

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チェルノブイリツアー概要とか注意点とか

独立広場 Maidan Nezalezhnosti (Майдан Незалежності) 

 


既に 2017 年も三月の終りだ。

今年の GW はどうやらおそらくどこにも行けない悲しい事態なのだけど、まだまだ去年の事を書き綴る。

2016 年に行った旅先では、チェルノブイリが一番印象に残った。


え?なんでチェルノブイリ?って時々聞かれるのだけど、なんか抽象的な物言いになってしまい、しっかりとした説明が出来ていないと自分自身で思っていたので、その辺りから掘り下げて自分自身でも整理がつくような目的で、その辺から。

 

なお、自分語りがウザイと思った人は、はじめの所は読み飛ばして、"チェルノブイリ ツアー会社の選定方法" の所から読んでほしい。

 

チェルノブイリへの興味

まず、遡ることチェルノブイリ原発事故はまだまだ子供だった頃の話で、事故の当時は雨に濡れないように言われてた気がする。
事故当時や事故以降、日本でもこの事故について何度もテレビ番組でやってきたし、自分はよくよくそんな番組を観てきた。
それはチェルノブイリに限らず、スリーマイルでも、東海村でも同じだったし、事故に限らず、イギリスの核再処理施設のドキュメント番組なんかも未だに覚えてる。
自分としては、これらはすべて良く分からない不気味なものを観る感覚だった。
ずっと長い事、そんなチェルノブイリのような汚染された場所に絶対行けるわけないし、行きたいとも思っていなかった。
ぼんやりとあんな放射線物質で汚染されたエリアに行くなんて、むしろお金を貰っても行きたくないと思っていたくらい。


ただ、昔から廃墟には興味があった。
いわゆる廃墟写真集みたいなのみるの好きだった。
古代の遺跡等になると、今となってはほとんど興味が沸かないのだけれど、近代の遺構となると話は別。
これらは時代が新しいせいか、個人的にはノスタルジーな感覚を持ちやすいし、当時の生活感もより間近に感じられる気がする。
現代社会の問題に由来しているから、存在をよりリアルに感じられるというか。。。多分、社会見学のようなものも兼ねていると思う。

あー、あと、これも不謹慎ながら、スリルというのもあるかもしれない。

ホラーゲームを人はなぜやるのかっていうね。


そんな理由からか、世界遺産として公式に行けるようになるずっと前から軍艦島にも行ってみたいと思っていた。
多分、人にチェルノブイリのどのような所が良いのか聞かれるとしたら、「軍艦島へ観光に行くのと似た感覚」といえば分かりやすい説明になっているのかも。


安直なカテゴライズだと、これはダークツーリズムの類。
アウシュビッツもキリング・フィールドもアラル海も原爆ドームもコレヒドール島も、種類は違えど負の遺産という点でこれらの観光はダークツーリズム。

 

ダークツーリズムは不謹慎という考えもあるけれど、自分はそれよりも行きたい、行ってみたいっていう気持ちが表に出る。
じゃ、福島第一原発や津波の被災地に観光に行くと仮定した場合、被災、被害に遭った人達の事を考えれば、"観光" という体で行くのは確かに不謹慎とは思う。

極端な話、火事現場や事故現場の野次馬のようなものだから。

それでも、正直に言って同様に結局は「行ってみたい、見てみたい」っていう気持ちにはなる。
これらダークツーリズムについて、結局何が正解か、申し訳無いのだけどわからない。
良い面悪い面あるとは思う。


ざっとまとめると、
良い面:社会見学 / ホラー的なスリル (非常に不謹慎)
悪い面:不謹慎 (かも)

 

エレナの件と方々の訪問記事を読んで

次に、インターネットの普及の過程で 2006 年頃、エレナ (Elena Filatova) という女性のブログを見た件。

 

elenafilatova.com

 

この中の 2003 年〜 2005 年の記事 Ghost Town and Land of the Wolves だ。
当時はまだチェルノブイリ一帯に個人で、かつ、バイクで制限区域や四号炉の手前、廃墟のプリピャチの町等がブログのレベルの写真で生々しく伝えられているのが珍しくて、かなり印象を強く持った。


2006 年の頃は、このエレナのサイトを日本語訳されたサイトも存在していたのだけれど、どうやら日本語訳されたものが本として出版されたらしく、気付いたら日本語訳のサイトは非公開になったようだ。

 


ネットで日本語訳サイトが無料で公開されていたのに、それを非公開にして本で販売している?
ちょっと下衆い。

英語サイトは上述の通り生きているので、タダにこだわるのなら、そっちから英語版で読むしかないわ。


なお、このエレナなる女性のブログについては、ネットでは全部ガセ、捏造という説もあり、真偽は 2017 年の自分にもわからない。
嘘だとしている人達の根拠として、"チェルノブイリの森―事故後20年の自然誌" という本の中でガイドのリマという女性が、

 


> 「あんなの嘘よ! ここでバイクになんか乗らなかったわ。私たちの車でゾーンに入って、それに旦那もついてきたのよ。 
> バイクのヘルメットだけ持ち歩いて、写真だって全部、旦那が撮ったんだから」


と言ったとある。
ブログを観た人達に、事故をより印象付けるために、おどろおどろしく誇張して語っているともどっかで読んだ。
...でも、この 2004 年の旅を読み進めていくと、事故当時の写真を挟みつつ、途中に本当に写真の中にバイクが出てくる点を踏まえれば、ガセじゃないような気もする。
だって撮影用にバイクを車で運ぶのって効率悪くない?


2017 年の今でもこのサイトが存命して、更新されている事も、やらせ疑惑を否定する材料になっていると思う。(ガセならとっくに逃げてるんじゃね?)
一方で、Wikitravel によれば、チェルノブイリは案外昔 2002 年から一般人も立ち入り可能となっていたらしい。

2002 年から観光可能だった点は、ガイドのリマの証言の方が信憑性が高くなり、エレナ記事が捏造だって疑惑が強くなるわけか。

 

> Today, the Chernobyl Exclusion Zone is a tourist destination. In 2002, it opened for tourism, and in 2004 there were 870 visitors. Now there are around 30 thousand tourists coming each year (as of 2015).

 

 

さらによくわからないのは、日本の Wikipedia では、2010 年から一般公開されたとあり、その 8 年間のズレはなんだろ?

公式には 2010 年だけど、2002 年以降は非公式に訪問可能だったって事かな?

 

> 2010年12月21日より、ウクライナ政府は正式にチェルノブイリ原子力発電所付近への立ち入りを許可した。本来は発電所から半径30km以内はそれまで立入禁止であった。ウクライナ政府が正式にこのような許可を発表したのは、現在は発電所付近の放射線レベルが低くなったためとの発表があったためである。キエフからはツアーが催行されている。無人の土地となった現地一帯は、野生動物の宝庫となっている。

 


いずれにしても、段々といろんなブログでチェルノブイリ訪問体験が記事として書かれるようになって、「なんだ、訪問しても大丈夫なんだ」って思い始め、いよいよ「ああ、自分も行ってみたいな」って思うにいたった。
多分、自分にとってのその先駆けは、"チェルノブイリ原発に旅行で行ってきたけど何か質問ある?" という 2009 年の 2ch のスレッドを、たまたままとめサイトかなんかで読んだ事だったかな。
2009 年って事は (日本の Wikipedia の通りとすると) 一般公開される 1 年前だけど、ガイガーカウンター装着必須等、主に装備の面で今よりも厳重だった事が読み取れる。

 

ガイド本について

チェルノブイリに関する文献は沢山あると思うのだけど、旅行者目線では、Lonely Planet の ウクライナ編で十分かと。

 


Lonely Planet の ウクライナ編には Visiting Chernobyl という記事で紹介が 2 ページにわたってある。

そもそもチェルノブイリに行っても安全なの?とか。(はい安全です)

 

ボリューム的にはチェルノブイリに行くだけで買う程ではなく、ネットで確認出来る程度の内容のため、他の街の観光もする前提じゃないと、買う意味を成さないかも。

 

チェルノブイリ ツアー会社の選定方法


チェルノブイリツアーを開催している主なツアー会社についもて記載がある。
以下が実際に掲載されているツアー会社だ。

 


Soloeast https://www.tourkiev.com/
Tour2Chernobyl http://www.tour2chernobyl.com/
SAM http://www.sam.ua
NewLogic http://www.newlogic.ua/en/home
Chernobylwel.come https://www.chernobylwel.com/


他、キエフのアンドレイ坂の途中で見かけた Chornobyl Tour https://chernobyl-tour.com/contacts_en.html でもよさげ。
実際、この件でググってみると他にもいろいろありそうなので、選択肢は多い。
チェルノブイリのツアーに限ったことではないが、こういう現地ツアーの類は、他の人のブログを読んで良く利用されているツアーとか、クチコミの多さとか、メールで連絡をした時にのレスの速さとか、そんなポイントで選択していくのがいい。


自分が利用したのは SoloEastTravel。
他の人のブログを拝見した際に比較的よく利用されているようだったし、メールした際、レスが早いし PayPal での支払いも可能だったから。


なお、チェルノブイリは 2 日間のツアーで参加するべきで、日帰りで参加してダイジェストみたいに主要なポイントに絞って流すように見回ると、しっかり観光出来る気がしない。


Duga-3Jupiter factory は二日間のツアーでないと省略される可能性大だ。
日帰りツアーで Duga-3 に行ったブログも読んだけれど、その分他の時間が削られるんだろう。
それでも Duga-3 は圧倒的なスケール感でかっこいいので、これを省略されるのはかなり痛い。


夏の間はチェルノブイリはキエフから日帰りツアーがほぼ毎日開催されているものの、僕は日帰りでは物足りないので、他のウクライナ観光の時間を削ってでも、2days ツアーに参加したかった。

 

他の人のブログを読んだ際に割りとがっがりしたという感想も結構見受けられたのだけど、それは多分日帰りツアーに参加しているからで、このツアーの真の醍醐味は ニ日ツアーにあると思う。
さらに踏み込んで、もはやツアーではなく個人手配で行くのもいいかもしれない。
今回、自分が参加した二日のツアーでも、ヤノフ鉄道駅 Yaniv railway station (Янів) に行かなかったので、その点はちょっと今でも心残りだ。

 

個人手配なら、

Duga-3 に登れる?(もう無理かな)

制御室は入れたり?(交渉とお金次第かね)

特別な装備着用の上で病院 No 126 の地下は入れる? (これは是非行ってみたい)

Semykhody Station にも行ける? (従業員専用駅だけど、個人手配なら訪問できるかな)

 

いろいろ夢が膨らむわ。(あえて若干シニカルさを装うw)


日帰りとは違い、こちらは毎日開催されているわけではないので、開催日に合わせてキエフにいるようにしなければならなかった。
調べたら、シルバーウィークに日本を旅立ったタイミングだと、2016 年 09 月 19 日 (月) - 09 月 20 日 (火) 開催分に参加すれば、その後、トルクメニスタンに行くようなスケジュールを立てることが出来た。


それに合わせて大分早い段階:2016/3/30 には先方にメールしてた。
上述開催分:2016 年 09 月 19 日 (月) - 09 月 20 日 (火) の 2 日間ツアーに参加したいっていう内容で。
二日ツアーはやっぱり人気があって定員 (ゲスト) 12 名のため、早め早めのアクションが重要になってくる。
メールでやり取りせず現地オフィスとかでの申し込みだと、おそらくは翌日の日帰りツアーのみ参加可能となり、「あまり良くなかった」っていう感想になる可能性が高まってしまう、(と思う)

 

旅程説明

 

以下に旅程を説明していこうと思う。
大体の旅程はこの地球の歩き方:旅スケ に書いた通り。

 

SW10日間 チェルノブイリと地獄の門等 ウクライナ/トルクメニスタンの旅

 

この一泊二日のツアーはチェルノブイリの街にあるホテルに一泊する事になる。​

なお、チェルノブイリの主要スポットについて pdf で地図がダウンロード出来るサイトがあるので、これらを事前にダウンロードしておくことをお勧めしたい。

 

Chernobyl Maps

http://www.chernobylmaps.com/

 

 

一日目

 

キエフ (独立広場のマクドナルド前) 出発

 

卵の彫刻

 

Dytiatky (チェックポイント)

 

Zalissya Village

 

Chernobyl Town


Chernobyl Port

 

Kopachi Village (幼稚園)

 

運河

 

 

四号炉前

 

プリピャチ入り口

 

プリピャチ

 

メイン広場

 

Palace of Culture Energetik (Дворец культуры Энергетик)

 

遊園地

 

スタジアム

 

高層マンション登頂


スイミング・プール

 

小中学校

 

郵便局

 

楽器屋

 

プリピャチ・カフェ

 

プリピャチ・ポート

 

死の橋


Chernobyl Town (ホテル泊)

 

 

二日目

 

Chernobyl Town (ホテル出発)

 

売店

 

農家 (サマショールの家訪問)

 

Duga-3


プリピャチ

 

ジュピター・ファクトリー

 

警察署

 

ビル倒壊現場

 

病院


講堂


四号炉近く 昼食

 

冷却炉

 

Dytiatky (チェックポイント)

 

卵の彫刻

 

キエフへ

 

キエフ (独立広場のマクドナルド前) 到着、解散

 

 

この後、項目の一つ一つに対して概要にあたる説明文を書いていたのだけど、上手に概要だけまとめる事が出来ず、詳細を書き始めてしまい、そこで記事作成が長い事停滞していたという。。。
なので、一旦これらの項目は目次だけとして、行った順で詳細は個別に書いていこうと思ってる。今は。

 

持って行くものと事前に必要なこと

以前の記事でも書いたのだけど、おさらい。(以前の記事もリンク貼っておくので観てね)

 

チェルノブイリと地獄の門等 ウクライナ / トルクメニスタンの旅概要

 

チェルノブイリ二日ツアーは事前の申し込み (二日間のツアーを強く勧める)
ガイガーカウンター持って行きたいのなら、自前か、レンタルの場合は昔と違って単なるオプションなので事前に申告必須。

服装は短パンはダメ。

長袖長ズボン、底の固いブーツ、スニーカーでもいいと思うが、サンダルはダメ。
靴下はいてないと出発前に買う羽目になる。


プリピャチでは割れたガラスの上やらガラクタの上を歩いたりするので、靴底は丈夫なもので脚をガードしなきゃらない。
なお、素足にスニーカーという女子は結構いるようだ。自分の所のツアー会社ではその点踏まえて出発時に靴下販売してた。

チェルノブイリ辺りは人がほぼ住んでいないせいか冷えるので、防寒着。
自分が行った 9 月中旬でさえ、スウェットパーカーの上にダウンジャケットを着るくらい寒い。

 

留意事項

チェルノブイリでは観る事、やれる事がどんどん減っているという事実。
今後も減る可能性が高いので、行きたい人は早めに行った方がいい。


以前の記事の時点ではまだだったのだけど、2016 年 11 月下旬、ついに四号炉全体を新しいシェルターが覆ってしまったので、石棺の状態を観る事は出来なくなった。


また、Wikitravel によれば、Rossokha と呼ばれる事故当時に使用された乗り物が寄せ集められていた場所は 2008 年には立ち入り禁止になり、その後、大部分の乗り物は解体されて埋められたらしい。

自分のガイドにも直接聞いた際そのように証言していたので、確かな情報だ。

 

この辺のブログが参考になる。

Simon Bučan

 

ただ、今でもちょっとだけ残っている乗り物もあるらしいので、GoogleMap の航空写真で探してみた。
埋められた場所は特定出来ていて、51.155895, 29.982353 の辺り。
今日現在、航空写真からでは残された乗り物らしきものは確認出来ないけれど、上述座標のちょっと 1 ブロック北側辺りに人工物らしき物体が散乱しているので、もしかしたらこれらが、その残骸かもしれない。


こんな風に既に大きな見所では二箇所、観る事が出来ない。

また、これも前の記事の通り、ゴーストタウンのプリピャチでは、2012 年 4 月に建物の倒壊があって、ツーリストが巻き込まれた影響で、表向き全ての建物への侵入が禁止された。

現に SoloEast の 2days の旅程を確認しても、プリピャチの町で建物内に入るような記述は無い。


あくまでこれは表向きで、ツアーに参加すれば代表的な建物のいくつかに入っていく事は現状可能。
でも、これもいつまで持つかわからない。
今に本当に危ないという事で表裏かかわらず、禁止されてしまうかもしれない。
 

集合と出発!

それで、一番最初の写真に戻るわけだ。

 

独立広場 Maidan Nezalezhnosti (Майдан Незалежності) マクドナルド前

ツアー集合時間 7:45 で、9 月なのに結構寒い。

手前のミニバスが 2days ツアーの車で、奥に隠れている大型のバスが日帰りツアー用だ。

 

点呼の後、手渡されるリーフレット。

 

中身はざっとした紹介になってる。

 

こっちの面はいろいろ禁則事項が書いてある。

一番やってしまいがちなのは、制限区域内で働く作業員等を撮影してはならないっていう点。

 

2daysツアーのガイドさん。多分、自分よりも年下。

この後、日帰りツアーに日本人三人組がやってきて、その内の一人が申し込み時のパスポートから新しいパスポートに変わったらしく、"Big Problem!" と言われていた。

説明を横聞きしていたところ、パスポート番号が違うからこのままじゃ参加不可能。

特別に再申請をするので、その場で申し込みし直しをせまる。

つまり、パスポート番号が変わってしまった日本の方はどうやらもう一度参加費用が発生するらしく、その費用を 3 人で折半していた。

気の毒だけど、ああ、こういう事があるから一人旅って楽だって思う瞬間。

 

なんだかんだと点呼は結構時間がかかり、ようやく出発。

 

キエフ市内を走ります。

 

車内では噂の (オアツラエムキな) 事故関連のムービーが流される。

 

当時のニュースだね。

英語って事はイギリスのニュース?BBC?

 

健康には絶対に危険は無い。

実際、隣国ベラルーシのゴメリでは多くの子供達が甲状腺がんになったんだけど。

チェルノブイリ ハートっていう映画をみてほしい。

ただし、この映画、結構最近の訪問なのに原発周辺で防護服を着てるんですが、それは多分誇張。

 

 

健康には絶対に危険は無い〜命に直ちに影響はない

 

この胡散臭さ。

福島第一原発の時の報道を思い出す。

その場しのぎでパニックを防ぎたいだけでは?

もうちょっと長いスパンなら実際人体に影響出るでしょうに。。。

 

ウチは子供頃から転勤一家だったので、特に思うのだけど、人は自分が住む土地に執着する必要は無い。

経済的な理由ならまだしも、先祖代々とか知り合いが多いとか、故郷がどうだとか、そんな理由で健康被害のある大地には住んでほしくない。

それよりも自分は、"住めば都" この言葉の方が故郷という言葉よりも大事な事と思う。

 

あ、ゴルバチョフさん!

懐かしい!

 

かなり走ってガソリンスタンドで小休止。

車も給油します。

 

ガソリンスタンドはちょっとしたスーパーも併設。

 

品揃えは豊富。

お店も綺麗だし。

チェルノブイリ行く人は大抵立ち寄るのかも。

 

チェルノブイリ産の酪農製品、、、な、わけはなくキエフ辺りから運ばれているに違いない。

 

日本のコンビニと変わらない感じ。

 

 

引き続き動画を観させられてる。

これはミュージックビデオ。

後から調べたんだけど、Crucifix っていう現在のジョージア出身のラッパーで、曲のタイトルがずばり、"Chernobyl" 。

プリピャチの廃墟の中が沢山出てくる。

YouTube でも観る事が出来るんだけど (リンクはこちら) 正直言って、退屈なラップコア。

 

 

次回は Dytiatky のチェックポイントから。

 

 

サムネイル対策用

 

 

 

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夜のキエフ徘徊

黄金の門 Golden Gate (Zoloti Vorota/Золоті ворота)

 

今日は TOEIC L&R 公式を受けてきました!
首が痛い!
ブログ書いてる場合じゃないかも。。。


さて、前回書いたように年末年始はベネズエラへ行ってきました!
懸念していたような人災等、特に大きなトラブルも無く無事帰ってきました!
むしろ、自分が接したベネズエラの人達はみんなとてもフレンドリーでいいやつらでした。
ロライマ山の一緒になったベネズエラ人達とは、別れ際に本気で悲しくなったり。


トラブルといえば、
・ロライマ登山の際、グラン・サバナのキャンプサイトでプリプリに刺されまくり、今も後が消えない
・カナイマのホテルにダウンジャケットを庭に干したまま忘れた
・往路のニューヨーク-成田のフライト機内にネックピローを忘れた
こんな感じ。


相変わらず、ものの置き忘れが多過ぎる。
過去の置き忘れの件からもうちょっと対策を考え直したいです。


テレビ番組:クレイジージャーニーでやっていた Dr. クノッチェ の ミイラ研究所 (Mausoleo del Dr. Knoche)、カラカスに寄ったついでに行ってきました!!!
テレビでやっていた通り、山道がとんでもなく険しかったです。
獣道を草をナタで掻き分けながら進むような必要があり、一人じゃ絶対無理な場所にありました。
こちらの詳細レポートは地球の歩き方掲示板に書いたので、見てください。
クレイジージャーニーでやっていたDr. クノッチェ のミイラ研究所(Mausoleo del Dr. Knoche)へ行きました

なんか、急いで書いたせいか日本語が変だわ。。。


ところで、まだまだベネズエラのインパクトが大きくて、ブログの更新も滞ってます。
まだ膝が痛かったり、プリプリに刺された跡、およそ 200 箇所くらいが消えないし、痒いです。
あと、今年から仕事が微妙に忙しくなったのと、今更 Pokemon go 始めたので、それに時間を取られていたりします。


あー今年は仕事の影響であまり海外行けないかもなぁ
ゴールデンウィークは 9 割方無理かも、、、北朝鮮を考えていたのですが、、、

 

 

本編

街へ行くのに道に迷う

前回の記事の最後に書いた通り、キエフ ジュリャーヌィ国際空港 (Міжнародний аеропорт „Київ” (Жуляни) (Kyiv International Airport Zhuliany)) を出て、バス乗り場へ行ったものの、ここからちょっとトラブルに。

Lonely Planet によればトロリー#22 に乗れば地下鉄 Shulyavska 駅 (Subway stations: Shuliavska) まで行けるようなので、後はそこから地下鉄で独立広場まで行こうと考えていた。

これまで空港から市内、市内から空港までタクシーばっかり使ってしまったので、ここでちょっとは節約したいと思ったから。

 

実際、バス停には 22 番の表示があったので、しばらく待っていれば来ると思った。

が、来ない!

他のバスはくるのに、、、

一時間くらい待ったっけ?

これくらい待つと結構焦る。

もしかしたら、22 番は早めに終わっちゃったんじゃ。。。とか。

 

そこで、別のバスに乗ってみる事にした。

一応、運転手に "Going to subway stations?" とか運転手に英語で聞いてみると頷いたので、これでいっかって思った。

万が一、迷ったら、ギブアップしてそこからタクシーに乗ろうとか、適当に考えた。

これはちょっとしたゲームなのだ!

 

で、そのバスでずっと乗っていたんだけど、30 分くらい乗っていると他の乗客もいなくなり、またもや心配になってきた。

もしかして、このまま郊外を走り続けたらどうしよう?

さっき地下鉄駅行く?って聞いたときは頷いてたけれど、もしかして通じていなかったのかも。。。とか

 

そんなこんなで 40 分乗ってギブアップ。

降りてタクシーに乗り換えようと思った。

タクシーに乗るにしてもタクシーが停まっていそうな場所で降りないとエライ事になる。

そんな風にちょっとは冷静に考えて、バスの窓から外の風景を見てた。

しばらくしたら、なんか大きめのショッピングセンター的な建物があった。

ああ、じゃこの辺で降りてみようって降りちゃった。

 

どっかショッピングセンターについたんだけど、タクシー停まっていない。。。

しばらく大通り沿いでタクシー待ってみた。

バスは来るけど、どこいくのかわからん。

タクシーはちっともこない。

辺りに人は多いけれど、英語通じるかわからず、聞くのも躊躇ってしまう。

そういえば、ショッピングセンターっぽい大型の建物なのに、一階部分しか入る所がない。

案外規模は小さいかも。

あーちょっと絶望的。。。

 

そこで、大通りの交差点を地下道を通って反対側へ行ってみた。

そこには。。。やった!タクシー乗り場らしきものがあってそこでタクシー拾えた!

 

独立広場までやっと行けた!

300UAH くらい取られたけれど、(たぶんふっかけ) 構わん。

こういうときは必要経費だ。

 

独立広場から、控えておいた地図を頼りにマクドナルド近くの坂を登る。

 

ちなみに、上述 キエフ ジュリャーヌィ国際空港のサイトにはバスルートが書いてあった。

今思えば、多分自分が乗ったのはトロリーバスの 9 番なので、結局あのまま乗っていれば地下鉄駅に出れていたと思われる。

ってかほとんどのバスが地下鉄駅にリンクしてるし。。。

早まったか。。。

Sunflower B&B Hotel

そして、、、やっと見つけた。

今夜滞在する Sunflower B&B の小さなネオンサイン。

翌日、チェルノブイリツアーが独立広場集合だったので、独立広場周辺で探したお手頃ホテル。

 

ホテル自体は年季の入ったアパートの二階のフロアにあった。

 

アパートの入り口は、ちょっと奥まっていて暗くて分かりにくかったけれど、ネオンサインが表通りに出ていたので、確信を持って進めた。

 

チャイムを押してチェックイン!

 

部屋は十分にリフォームされていて広くて綺麗で清潔。
調度品の色合いなんかもなかなかセンスが良い。

 

バスルームも綺麗!
このホテル一押し!

 

キエフ徘徊

さて、落ち着いた所でこの後どうするか?だけど、このまま寝てしまうのは惜しい。

明日のチェルノブイリツアーは、集合時間が早いので寝るのが賢明だけど、今後キエフなんてまた来る可能性はかなり少ないし、まだ本来行く予定だった観光スポットに行ききれていないので、この夜の内にそれらを見て周ろうとか、我ながら狂った事を思いついた。
そもそも閉まっているのだから外観のみの観光になるのに。。。

 

で、結局出かけちゃった。

キエフなんてなかなかこれないからっていう思いの方が強かったから。

 

まずは坂道を降りて、独立広場へ。

そこから、ソフィア大聖堂 Saint Sophia Cathedral (Собор святої Софії) へ。

 

ここは、昼間にちゃんと入ったから、立ち止まる必要はない。

素通りしてここを左 (南) へ。

 

黄金の門

じゃん!

黄金の門 Golden Gate (Zoloti Vorota/Золоті ворота) !

やってきた!

 

さすがに閉まっていて、中には入れないけれど、中は狭そうなので外観のみでまあいっか。

 

とりあえず一周ぐるっと。

隣接する公園にはホームレスが一人いたのでちょっと警戒したものの、特に何も無し。

 

結構寒い月夜。

 

プレートがあるけれど、読めないや。。。

 

ゲートを閉める格子状の門。

 

でかい!

 

格子の中をカメラで撮影。

格子状の影が映って、ちょっと不思議な感じの写真になった。

 

黄金の門からさらに南へ。

 

途中ナイトクラブらしきもの発見!Rio っていうのかね?

ドアマンが沢山いた。

ちょっと怖い。

(後から判明、ここはストリップクラブらしい)

 

さらに南下します。

 

ウラジーミル聖堂

ウラジーミル聖堂 / 聖ヴォロディームィル大聖堂 
 (St. Volodymyr's Cathedral / Патріарший кафедральний собор св. Володимира, Patriarshyi kafedralnyi sobor sv. Volodymyra)

 

大聖堂内部は壁画とモザイクが美しいらしい。

 

入れないので仕方なく外から見るだけ。

 

試しにドアを押してみたけれど、さすがに施錠されてた。

 

 

ここから bul Tarasa Shevchenka っていう大通り沿いに東へ。

vul khreschatyk

 

bul Tarasa Shevchenka と キエフのメイン通り vul khreschatyk の交わる所。

ここに アリーナ Arena っていうナイトクラブがある。

 

ここのクラブが今キエフでもっともアツく、値段も高いらしい。

自分、入ってない。

高いらしいのがネック。

カナダのトロントで門前払いくらったトラウマもあるな。

 

フレシチャーティク通り (vul khreschatyk) を今度は北上して独立広場へ戻る。

 

道が広い!

 

こういう道が広いのは共産圏にありがちだね

 

土地が余っているのか、権威的なのか

 

ビルがしゃれてる。

 

あーやっと戻ってきた。

独立広場!

 

地下道を通って対向側へ。

わざわざ地下道通るの面倒くさい。

 

 

キエフ夜の徘徊のまとめとしては、治安は全然問題なし。

こんな風に中心部を歩く分には怪しい人達がたむろっている様子もない。

いや、そもそも人があんまり歩いていなくて、静かで退屈な街だ。

ナイトクラブ前がちょっとだけ賑やかなくらい。

 

Sunflower B&B Hotel 再び

さて、わがホテルへ戻ってきたわけだが、、、すでに夜中に 2 時半くらい。

このホテルは前述の通り、一階のドアでチャイムを押して入る仕組み。

つまりさ、チャイム押すとホテルの人 (ってか家族経営っぽい) が手動で開けてるわけ。

 

チャイム押してもさすがに応答がない。

しばらくここで立ち往生。

夜中に押すのは躊躇われるけれど、そもそも夜中外に出るのは滞在者の勝手なので、堂々と押し続ければいいのだ!って言い聞かせる。

 

何度かチャイムを押して 20 分くらいでようやくロックが解除された。

安眠妨害してごめんなさい。。。

 

翌朝。

ツアー集合時間は 7:45 なので、7 時頃には何とか無理矢理朝食を出してもらった。

ってか、量少なすぎ。。。昨日は夕飯食べてない。機内食で出たサンドイッチだけだからお腹すいてたんだけど。。。

 

もしかしたら、無理矢理急いで出したせいで、本来出すべきものが出なかったのかもなぁ

 

Sunflower B&B Hotel ともお別れ。

 

二階の右の窓がオフィス。

 

ほら、こんなアパートの奥まった所にあるのだよ。

 

外観は古めかしいけれど味があるなぁ

 

独立広場へ下りる坂道。

 

ここに 24 時間オープンのスーパーマーケットが地下にあって、大活用してた。

 

独立広場のマクドナルドの前には、、、SoloEast Travel  のミニバスと大型バスが停まってた。

いよいよチェルノブイリツアーだ!

 

次回へ続く

 

 

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